捏造の沖縄歴史教育。
~琉球王国の真の姿~
★戦後、沖縄の学校教育では、『昔、琉球王国という豊かで、素晴らしい文化を持った独立国があった』ということが盛んに伝えられ、メディアもこぞって美化したイメージを伝え続けているため、県民の多くがそれを信じ、密かに憧れすら抱いている所のマスメディアも似非情報を流す。
★しかし、琉球王国についての史実を、主に医療行政の面から紐解いた惠先生の分析を聴くと、一般に教えられているのとは程遠い琉球王国の正体が浮かび上がってきます。
★近親結婚に原始共産主義の国が、中国に朝貢することで、王様と一部の人間だけが富を独占し、一般人は自分の名前すら書けず、牛馬と同じ小屋に裸足で暮らす。
など、その酷さは、琉球王国に寄港したペリー提督が「メキシコの労働者を除けば、これほどまでに悲惨な生活をしている民は、世界で見たことがない…」と手記に書き記しているほどである。
★そんな、学校やメディアがひた隠す琉球王国の本当の姿を知ることで、あなたの歴史観は大きく変わり始めるでしょう…。
~非武装は武装解除の結果~
★『琉球王国』(沖縄県)は非武装中立で、交易を中心で、平和で豊かに暮らいた。
そこに明治維新で国力を付けた日本が、武力を脅し、明治四年に日本に併合、『沖縄県』とした。と、革新系の知識人は喚く。
しかし、筆者の調べたところ、彼等(琉球国の、王侯貴族、一般庶民に政治的発言権等は、一切ない。
自分の意思での非武装ではなく、シナ大陸にできた政権に、朝貢外交をする為に、『武装解除』されて『非武装国家』になったのである。
★そこで沖縄民族が、自分の身を守る秘密裏の造ったのが『空手道』である。
空手の発祥の地、沖縄には、各流派は研究生を送っている、と聞く。
★シナ大陸の、時の政権(明、清等)に朝貢を怠らなった、ので、朝貢貿易で結構な利益を上げていたらしい。
(朝貢貿易とは「私は何処を支配している者ですが、あなたの家来になります」と貢物をもって挨拶に行く。挨拶を受けた相手は「支配している土地が知らなくても、その地の王様の辞令を渡し、貢物の何倍かの土産を持たせて帰すので、朝貢貿易相当な利益が出た。」
中国大陸は産物は豊富で時の王朝は豊かだった,聞いている。
★薩摩藩にもほぼ同じ事を行なっていたので、秀吉の朝鮮征伐(1592年~1597年)に、「朝鮮はお得意様なので攻めるのは、お許し下さい」。
と願ったので、「物資、食料の輸送だけでも・・・」と、命じられたが、それも断った。
★「面子を潰された」と、怒った薩摩藩は、朝鮮征伐後に、鉄砲で武装した武士400名で琉球を攻めた。しかし、明国の援軍は一兵も来ないので、
~琉球王国は一戦も交えず降伏。王様は捕虜として薩摩に連行~
将軍に降伏の挨拶の為に、街角で見世物にされながら江戸城まで連行される。
以後は、徳川幕府時代の沖縄は薩摩藩の『隠し田』地租の上がらぬ土地であった。
★結果、これが『抜け荷』(密貿易)で利益を上げ、維新の討幕の財源となって明治維新が成功したのである。
維新がなって沖縄が併合されん、とした時の王の言葉、
『島んちょ』(島人)の為ならと首里城を明け渡し、王様と一族は日本の華族(公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)に列せられ、東京に永住して優雅な生活を送っている。
★思うに島人の為には、独立しているよりも日本に併合される方が人民の為になる、と自らが認めているのだ。
★反対派の多くが、琉球の独立を支援して貰うべく、シナ大陸に亡命した、と言うが、その後の反乱行動があった事は寡聞にして聞かない。
~最近、経済力を付けやチャイナが、元の朝貢国家にせんと、色々策動していようなので、情勢が判り次第に報告する~
追伸
室町幕府3代目将軍・足利義光が南北朝時代の混乱で、財政が悪化した。
それを補うためにチャイナ(当時は『元』と朝貢外交をした時に、使者を迎える迎賓館として利用し、日本が豊かな国に見えるように建物を金箔で張り詰め、日本は豊かな国だと思わせたかったであある。
★何時の時代はチャイナと付き合うための見得をありあったようである。
了) 豊永高明 拝、