価値観の硬直
*若者の意見を否定する大人
先日あるテレビ番組をみて感じたことを今回は書きます。その番組は、東北大映画部に所属する学生らが、あるベテラン映画監督の教えを受けながら、「震災に関する”告発”」をテーマに映画を製作していくという内容でした。
番組では、学生らが自身の考えた企画を監督に提案していました。例えば、「絆はまやかし」:震災当初こそボランティアなど絆を思わせる動きが国内外で見受けられたがそれも今では下火になり、被災者は世間から取り残されたという疎外感を感じている(ここらへんの委細は記憶が曖昧です)。つまり、だれもが信じて疑わなかった絆という概念を揺さぶるような企画です。このほかにも、(少なくともぼくにとって)告発に値する企画が多く見受けられました。
しかし、それをそのベテラン映画監督は「内面的すぎる」と一刀両断に切り捨てたり、「文学的だね」と半ば嘲笑する始末でした。さらに、映画というものは「外面的なものを映像として捉えるものだ」と続けました。つまり、人やモノの動作など目に見えるものを捉えるべきで、心理的なものは絵面としておもしろくないし、伝えることが難しいということでした。
*大きな疑問
ぼくは、上記の監督の発言に多いに疑問を抱きました。そもそも、目には見えない感情(内面的なもの)を、カットを工夫するなどして表現することが、映画監督としてのあなたの仕事なのではないかとまず思いました。だから、「内面的すぎる」という否定は、監督業の怠慢なのではと思ってしまいました。
また、その監督自身も実は、人の”内面”を捉えた社会派映画を過去に製作しています。在日朝鮮人を主題に描いており、社会的価値のあるとても良い映画だと思います。
ただ先ほどの”絆”も在日朝鮮人が心中に抱く”感情”もどちらも目に見えない内面的なものです。だから、学生の企画を一蹴する際に述べた「内面的すぎる」という言い訳は、監督自身が自分の意見を正当化するために、恣意的に用いた詭弁という他ないとぼくは正直感じてしまいました。
*憂い
現代社会(例えば一般企業)でも、カピカピの鼻くそのように凝り固まった価値観を持つ経営上層部を構成しているおじさんおばさん連中は沢山おられると思います。そのような人々の、偏った考えを押し付けられたり、その一方的かつ理不尽な価値基準のもとに、熱意溢れる若者の新鮮で斬新なアイデアが日々潰されているのかと思うととても心配だし残念でなりません。