過ぎてく時代の風 2016.12.11 07:27 先日の森歩き。今回の大雪の前になるので足元の状態は違うでしょうが、長靴で歩きながら、ところどころはスノーシューが必要なくらいでした。この時は、いつもの自然観察ツアーで散策するコースではなく、ちょっと外れて、気ままに目的地も決めずに森をさまよっていると...かつての農地(畑)や居住地があったとされる開拓跡に出ることがあります。また、一度は切り拓かれた場所が現在は森へと戻っていっている二次林と呼ばれる若い森にも、残された切り株を見つけることもあります。写真(上)のものは、その切り株から新しくトドマツが生えていました。 屋根に雪が積もり始め、これから静かに長い冬を越えていこうとする開拓小屋(町によって修復保存された小屋)の近くにやってきたエゾシカ。妻がウトロのデイサービスで働いているので、最近はボランティアとしてちょこっとお手伝いに行くことがあるのですが、そこで皆さんから一昔前のウトロの事を聞くことがあります。大変勉強になります。原生的な自然や野生動物は様々な番組でとりあげられる知床ですが、何千年前、何百年前のオホーツク文化やアイヌ文化もあり、漁業や採取(それらの交易)をして暮らしていた時代もあり、また近代としては大正から昭和にかけての農業開拓もありました。かえって遺跡などの発掘調査によって古代の歴史は知る機会も増えて、その一方で近代の歴史については自ら書籍を閲覧しようとしなければ、その時期の具体的な出来事を知ることも少ないのではないかと思います。そうした事を自身の声として(開拓初期から中期については)過ごした日々を、生の物語を語り継げる方もかなりの高齢となってきた現代に、漁業に携わった方も多いのですが、デイサービスでの話しは貴重な体験です。また、僕自身でも、こうして歩くことで感じることも多いです。 入植した地域は違うものの、僕の曽祖父や祖父も開拓者として長野県からこの北海道にはいって、戦争の時代を越えて、別海町で酪農を営んでいたので、とくに祖父には話しを聞きました。きっと、そうした話しは語る方によって同じ時代、同じ地域であっても過ごした日々、生活環境、苦労、喜び、その頃について思うことは多少なりとも違うもので、そうした時代を取材した方の書籍もその語られたことを聞いた著者の思いもはいっていることがあるので、(思いがはいる事それが悪いとか良いとかという事では決してありません。)自身で多くのお話しを聞き、書籍を読むことが大切なのだと思います。僕らは生まれてきた時代が違い、その全く同じ体験をすることは出来ず、変な言い方になりますが...ごく単純に「苦労したのだろう」という偏見がお話しを聞く前に、意識せず考え方の片隅に混じっていることがあります。たしかに、昔を語る皆さんは「苦労はしたよ」とおっしゃりますが、その表情には時として笑みがまじり充実したものがある場合もあり、そういった細やかな感情は見逃してはいけないのだと思います。必ずしも、苦労=苦痛ではないのかもしれないのですから。過ぎてく時代の風、それは今を生きる僕らも語り継いでいく風、激しくなる日もあり、穏やかな日もあり、吹きやまない風の中で。