大国主神(おおくにぬしのかみ)
「国譲り」に於いて、オオクニヌシさまの記紀での出番は終了しました。ですので、纏めておきたいと思いますが、なにしろ、色々な側面を持っている神さまです。まずは重要事項を過剰書きいたします。
お名前
大国主は多くの別名を持っています。以下に羅列します。
大国主神(おおくにぬしのかみ)・大國主大神 - 根国から帰ってからの名。スサノオさまに頂いた大国を治める帝王の意
大穴牟遅神(おおなむぢ)・大穴持命(おおあなもち)・大己貴命(おほなむち)・大汝命(おほなむち『播磨国風土記』での表記)・大名持神(おおなもち)・国作大己貴命(くにつくりおほなむち)
八千矛神(やちほこ) - 須勢理毘売との歌物語での名。矛は武力の象徴で、武神としての性格を表す
葦原醜男・葦原色許男神・葦原志許乎(あしはらしこを) - 根国での呼称。「しこを」は強い男の意で、武神としての性格を表す
大物主神(おおものぬし)-古事記においては別の神、日本書紀においては国譲り後の別名
大國魂大神(おほくにたま)・顕国玉神・宇都志国玉神(うつしくにたま)- 根国から帰ってからの名。国の魂
伊和大神(いわおほかみ)伊和神社主神-『播磨国風土記』での呼称
所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)- 『出雲国風土記』における尊称
幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)
杵築大神(きづきのおおかみ)
妻と子
大国主は色々な女神との間に多くの子供をもうけています。
子供の数は『古事記』には180柱、『日本書紀』には181柱と書かれています。記においては以下の6柱の妻神がいらっしゃいます。(紀では記にみえない妻神がさらに1柱おり、『出雲風土記』ではこれ以外にもさらに何人もの妻神が表れています)。
スセリビメ - スサノオの娘。 最初の妻で正妻とされる。
ヤガミヒメ - 根の国からの帰還後では最初の妻とされる。間にキノマタノカミが生まれた。
ヌナカワヒメまたはヌナガワヒメ(奴奈川姫) - 高志国における妻問いの相手。間にミホススミ(『出雲国風土記』)もしくはタケミナカタ(『先代旧事本紀』)が生まれた。
タキリビメ - 間にアヂスキタカヒコネとシタテルヒメの二神が生まれた。
カムヤタテヒメ - 間にコトシロヌシが生まれた。
トリトリ - ヤシマムジの娘。間にトリナルミが生まれた。『古事記』にはそれ以降の系譜が9代列挙されている。
※別名の多さや妻子の多さは、明らかに大国主命が古代において広い地域で信仰されていた事を示し、信仰の広がりと共に各地域で信仰されていた土着の神と統合されたり、あるいは妻や子供に位置づけられた事を意味しているという説もあります。
信仰
国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰される。
医療神という観点では、1883年(明治16年)10月に明治天皇皇后(昭憲皇太后)[1]もしくは大正天皇の生母柳原愛子が病弱だった明宮(のち大正天皇)の
また大国主は縁結びの神としても知られる。
なぜ縁結びの神とされるのかについては、出雲には毎年10月に諸国の神々が集う(神在月)のでそこで縁結びが話し合われる等という説明が一般的であるが、現代では、大国主命が須勢理毘売命を始めとする多数の女神と結ばれたことによるという解釈もある。
また江戸期には全国的な民間信仰の広まりにより、「大国」はダイコクとも読めることから同じ音である大黒天(大黒様)と習合していった。このため比較的歴史の浅い神社などでは、大黒天が境内に祀られていることが多い。
大国主を祀る神社は多い。
出雲大社(島根県出雲市)
大前神社(栃木県真岡市)
大國魂神社(東京都府中市)
気多大社(石川県羽咋市)
気多本宮(石川県七尾市)
出雲大神宮(京都府亀岡市)
大国主神社(大阪府大阪市)
大神神社(奈良県桜井市)
飛瀧神社(和歌山県那智勝浦町)
八桙神社(徳島県阿南市)
薬師神社 – 全国各地
ほか、全国の出雲神社で祀られている。
古事記ではこのブログに既出のように、次の5つの神話の主人公になっていま。
①因幡の素兎神話 因幡の素兎
②根の国神話 オオクニヌシの試練、スサノオさまとオオクニヌシさま
③八千矛神の神話 八千矛神の妻問
④国造り神話 大国主神と少名毘古那神の国作り、葦原中国
正直、筆者はこれまで余りこの神さまのことは詳しくありませんでしたし、こんなに深く探求したことはありませんでした。
それは、個人的に熱心な天照大御神信者(この件で特定の宗教に拘泥している訳ではありません)ですし、正直国津神のことはよく分かりませんでした。
地理的なこともありますが、毎年、数回お伊勢には参拝しますのに、出雲にはここ10数年はお参りさせて頂いておりません。
ですが、記紀において、大きな節目と要になっているのは、アマテラスさまやスサノオさまよりもこの神さまだということが今回よく理解できました。
そして、この神さまを正統化させることが、実は、天武天皇が最も重要視した「歴史の正統性」なんですね。
それがよく分かりました。
ほかの記事でも書きましたが、そういう着眼点を持って、今後はこの大きな「古事記はなにを残し、なにを主張したかったのか」という大難問に取り組んでいきたいと思います。