日ユ同祖論について
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13218432658?__ysp=44Kr44K044OhIOWNkeW8peWRvA%3D%3D 【日ユ同祖論について】 より
古代イスラエル人が日本に流れ着いて、日本に多大な影響を与えたと言います。
失われたアークについては、徳島の剣山。
イスラエル式祭壇は、徳島の美馬市。
徳島の祖谷地方に伝わるユダヤ言葉の歌。
剣山のお祭り。
祇園祭り。
全国に伝わる伝承。
徳島には、アーク以外に天照大神を葬った身延山。伊邪那美が葬られた高越山。
不思議な場所が多いです。
古代イスラエル人が伊邪那美や天照大神だったのかと可能性はありますか?
因みにアークの話は、イスラエル人の渡来した証拠は、たくさん出てます。
ベストアンサー
fukufukuman1さん
おおよそ、正しい理解だと思います。
2700年前イスラエル民族の離散があり、沢山のイスラエル民族が別経路で段階的に日本に移住してますね。最新のDNAの学問から言っても確実な事実です。
質問の内容は、イザナミ、天照大神が、イスラエル民族であったのか?ですね。
可能性は、多いに有りますが、イザナミは、日本の縄文人だと思います。
が、絶対とは言い切れません。
元々日本には太陽信仰があり巨石文明の元となるような遺跡もあり、ピラミッド型の山の頂上に大きな太陽石を置き信仰の対象としていたようです。
旧約聖書のイザヤの長男は、イザヤの王子ですから、イザナギットです。海経由で沖縄から来ています。イザヤの預言に従いまっしぐらに東の島々日本を目指してきています。八重山諸島は、ヤーウエの山ですし、与那国島もヨナの話から来ています。イザナギの弟はシルクロード経由で日本に到達しています。早く奪い取れみたいな辺な名前です。日本書紀では、スサノオに早建の名がつけられていますから、弟の子孫がスサノオと関係があるはずです。
イザナギットイコール、イザナギで間違いないと思いますが、ホツマツタエによるとイザナギは、根の国の人になっています。
ホツマツタエは、オオクニヌシの子孫のオオタタネコが書いています。物部の一派です。
ホツマツタエは、一見日本で完結しているように見えますが神のことをヤと言う文字で現します。イスラエル民族も神は、ヤーです。ヤーウエーのヤーです。
ここの共通点からホツマツタエとイスラエル民族の移住を読みとくとイザナギの真実が見えて来ます。
イザナギは、イスラエル民族ですが、イザナミは日本のネイティブではないかと思われます。ヒタカミ(東北)出身ですね。伊勢神宮外宮のトヨウケダイゴシン(5代目トヨケ)がお父さんで、この方はアマテル男性の師承です。暫定的な日本の王です。造化三神の一人です。
沖縄経由で日本にたどり着いたイザナギと日本のイザナミは、オノコロ島で結婚するのですが、オノコロ島は、ホツマツタエによると福岡県の沖の島です。
沖の島の北東部の海底に神殿がありこれが、まさしく天の御柱で、ソロモン神殿のレプリカのようです。八尋殿といいます。
ホツマツタエの伝説上の沖壺の神殿が海底にちゃんと存在する限り疑いようが有りません。確たる証拠となります。柱の太さはなんと5メーターもありますから、その規模のスケールがわかります。地震か何かで海に沈んだのでしょう。
私見ですが、イザヤの長男のイザナギットは、まず、オノコロ島でソロモン神殿のレプリカ八尋殿を作りそこに日本の王の娘と結婚する。お見合いは、どうも筑波あたりです。
以後、淡路島を本拠地としたあと、四国の剣山をシナイ山と見立て聖域としたようです。この頃は、エフライム族とナフタリ族の移住があったようです。オノコロ島の八尋殿に安置していたアークは、いずれシナイ山に見立てた剣山に移されたようです。カッパドギアのような地下世界が作られているようです。
イザナギ、イザナミの最初の子は、ヒルコで厄年に生まれたので神戸の方に預けられています。春日大社でしょうかね。成人しワカヒメと呼ばれて和歌山県のわかがワカヒメから来ています。イザナギ、イザナミは、日本の豪族を回り込みをしたようですね。
天照大神は、富士山の麓で生まれています。今の富士宮市です。
天照大神は、持統天皇の時に男性から女性にかえられています。本当は男性でイザナギの跡取りで、イザナギは、イスラエル民族ですが、イザナミは縄文人ではないかと思います。
よって、二人の間の子供の天照大神は、ハーフと言うのが一番の可能性だと思います。身の丈2m80cmもある大男です。
その後儀式等で天照大神を下ろせる巫女が日の巫女となり、天照大神と同一視されたりするのでごちゃごちゃになっています。卑弥呼は、日の巫女です。こちらも、別派イスラエル民族と関係があります。
さらに、時代を下り続々とイスラエル民族の移住があり、徐福しかり、秦氏しかりで先発隊のイスラエル民族から後発組との融合もあり、天照大神イコールヤーウエとなったり、天照大神イコールイエスキリストとなったりしています。
日本の神社はトマスが伝道した、東方キリスト教の秦氏が建てていますから、日本の神社は、イスラエル形式になっています。狛犬もユダ族の紋章のライオンとエフライム族の紋章のユニコーンですしね。京都の祇園祭も秦氏から始まっています。シオン祭りですね。山車は、イスラエル民族の移動した名残ですし、御神輿はアークの入れ物の名残です。
稲荷神社は、イエスキリスト神社ですし、八幡神社も秦氏の神社ですし、伊勢神宮も秦氏が建てていますから、イザワの宮は、イーシャの宮つまりイエスの宮ですが、元々は、イザヤの宮だったようです。秦氏からすれば、伊勢神宮にお祀りしたのは、ユダヤの王イエスですし、日本の造化三神は、父と子と精霊と言う具合に元々の信仰と融合し新な解釈でもって落とし処が決まり今に至と言う感じです。
因みに古代出雲大社空中神殿もガド、マナセ、等の神殿のレプリカですし、オオナムジの二男は、諏訪大社で付近に守谷山もあり、儀式もイスラエル形式その物ですね。出雲大社の御神体は金のマノラーですから、ソロモン神殿からレビ族が持ち出したものですね。オノコロ島の八尋殿が海に沈む前に持ち出したのでしょう。天照大神の子供のアマツホヒがレビとして祭祀を行っています。
アークは、後に仁徳天皇陵に安置されたようですが、戦後GHQ が持ち出した可能性が有ります。
カゴメ歌は、仁徳天皇陵のアークを歌ったものだと思います。仁徳天皇陵は、イスラエル民族のアークの一つのマナの壺の形をしているのも有名な話ですね。
カゴメの六角星は、古くからルベン族の紋章です。。古代イスラエルでは、マナセ、ガド、ルベンが一緒に防衛していましたから、日本に来た時もこの紋章がつかわれています。伊勢神宮に寄付された灯籠は秦氏の子孫ですし、元伊勢にあった六角星もルベン族と関係があります。ダビデの六角星が出来る前からルベン族が使った紋章ですね。
四国の剣山に古くからアークが安置され、イスラエル民族のコミュニティがあったために、多くの巡礼があり、後から来た秦氏も沢山移住しています。
もう一つ、天照大神が葬られたのは、マナイ神社で、イザナミが葬られたのが、熊野花窟神社ですよ。昔の人は随分移動したようですよ。
まあ、四国の穴吹辺りもイザナミの面影が有りますけどね。
ユダヤ人の歴史を分からずに回答されている方がいらっしゃるのでもう一つ、付け加えます。
イスラエル民族の一つの現代のユダヤ人と古代イスラエル民族は、必ずしも同じではなく、ユダヤ人は、迫害を受け男性は殺され女性は犯されたりして、ユダヤ教を信じる者か、母がユダヤ人という定義になっています。遺伝子的には混じってしまっていますので、現代のユダヤ人と古代イスラエル民族の末裔が必ずしも一致するものではありませんが、YAP遺伝子は日本人の一部と、(約40%)ユダヤ人の一部は同根であることを物語っています。
キリスト教とイスラム教の狭間にいたアシュケナージ・ユダヤ人も日本人の一部はイスラエル民族の末裔であることは確かです。
アシュケナージ・ユダヤ人が解らない方は、この質問に回答する事はナンセンスだと思いますよ。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/nihonyudayadna.htm