カゴメ歌
http://hikyouken.com/2017/06/09/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%80%80%E3%82%AB%E3%82%B4%E3%83%A1%E6%AD%8C%E3%80%81%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E6%AD%8C%E3%80%80%E3%81%A8%E7%A9%BA%E6%B5%B7/ 【ソロモン伝説 カゴメ歌、いろは歌 と空海】
剣山は、昔、「鶴亀山(つるきさん)」と呼ばれ、それがいつの間にか「剣山」になったのですが、山頂から少し手前に大きな鶴石と亀石があります。
空海と「カゴメ歌」
「かごめ かごめ かごのなかの鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ 」
というわらべ歌がありますね。 この意味にはいろいろな説があります。
《カゴメ(籠目)紋はイスラエルのマークで、イスラエルのマークで、ダビデの六芒星である。籠の中の鳥はアーク。アークは何時出てくるのか?暗い夜明けに地震か何かで、 鶴石と亀石が滑り落ち、鍾乳洞からアークが正面に出てくる》
という説。
もうひとつは、
《神器を誰が護のか、誰が安置されている神器を取り出すのか。それを取り除き、お守りと差し替えよ。そして誰もいない荒れ地に水を引き、そこを聖地として支配せよ》
という説で、アークを隠した場所が「わらべ歌」としてずっと語り継がれるように空海が考案し、古代ヘブライ後と日本語をうまくかけ合わせた歌であるとも言われています 。
空海の謎解き封印と同様のことは他でも見られます。八十八ヶ所も四国霊場はなぜ「八十八」なのか。唐に留学していた空海がなぜ途中で修行を打ち切って帰国したのか。密教とは本当は何なのか。位の高い僧侶よりも、なぜ空海が重用されたのか。
八十八は「ヤー(神)を重ねて隠す」という意味です。神ヤハウェのヤとハの間にアポストロフィを打って「ヤー」と読ませます。「ヤー」で同じく神ということです。ヤッホーは神様への掛け声で、ヤフーはそれを知っていて会社名にしています。やがて、アポストロフィだけで、神を表す意味になったのが勾玉(まがたま)の形です。
その頃は、既に景教(キリスト教)が唐まで迫っていました。キリスト教の新バビロニア国に滅ぼされた時のようにアークを守らなければならないので、朝廷は、唐に留学中の空海を日本に帰して、彼の知恵を持ってアークを封印しようと考えます。
空海は急いで帰朝し、八十八ヶ所の札所を設置して、四国入りした人が八十八箇所を巡る際、決して剣山に人の目が向かないようにしました。だから、八十八ヶ所を回られた時に見てください。その道中に剣山を見ることはできません。本当に大切だったのは剣山であって、四国霊場はそれを封印して隠国(こもりく)にする結界線だったと言われています。
いろは歌にも意味が 「イエス、咎なくて死す」
いろは歌を縦横に七つずつ並べると「イエス、咎なくて死す」という隠語が含まれていることがわかります。
いろは歌全体には、「救いを与える良い神は、神隠しのごとく逸話となり、罪もないのに死んで神の子となり、巌(いわお)となった」という古代ヘブライ語が隠されているようです。仏教の奥義を究めるため中国(唐)に旅立った空海は、そこで当時キリスト教の一派であるネストリウス派の教義に触れる機会に恵まれ、聖書を学んだことは衆知の事実です。
そこで悟った教えを折句(おりく)として字母(じぼ)歌にまとめたのが「いろは歌」だったのです。
朝廷の手前、イエス・キリストの教えを伝えるわけにいかないから仏教を隠れ蓑にして真の言葉を伝える教えたのが、後の真言密教へと発展していったと考えられ、どんな宗教宗派も結局は、根はひとつだったということのようです。
いろは歌のほかに、もうひとつ有名な日本古謡「さくらさくら」があります。
いろは歌には、「やあゑ」「もせす」など、聖書に関わる言葉が折句として含まれていましたが、「さくらさくら」には、旧約聖書に登場するイスラエルの預言者、イザヤの名前がそのまま出てきます。この名前には「神の救い」という意味があります。作詞者は空海の可能性が高く、古代ヘブライ語で読むと「いろは歌」の折句とほぼ同じ意味の歌になるのです。
《〈神が〉隠れてしまった。唯一の神が迫害を受け、耐え忍び、死んで犠牲となり、くじで引かれ、取り上げられてしまった。素晴らしい神の計画である救い、その救いの捧げ物が成就した》
空海は、いろは歌という字母歌を使って折句の中で振興の真髄を語り、更に神隠しのうたとして「さくらさくら」を作って信仰の告白の気持ちを込めたのではないかと考えられます。
これは決して日本語と古代ヘブライ語の偶然の一致ではありません。歴史に永遠に残る天才空海の、次元を超越した霊歌だったのです。実際に空海なる人、言葉遊びが好きだったようです。(中島尚彦説)
https://shuchi.php.co.jp/article/3772?p= 【カゴメカゴメ…わらべ歌に隠された古代史の闇に迫る!】 より
関裕二(歴史作家)
わらべ歌に隠された古代史の闇
伝統的な子どもの遊びの中には、素直な心を持っていた太古の記憶が残されているらしい。子どもは、知らず知らずのうちに、古代から連綿と受け継がれてきた原始的な祭りの様式を、いまに伝えているというのである。
たとえば、子どもは無意識に鬼ごっこというが、鬼とは、妖怪、死者の霊魂、亡霊などの意味を持っている。子どもは好んで霊魂に扮し、妖怪に追いかけられて笑い転げていたことになる。また、鬼は太古「モノ」と読み、「神」と同義語であったから、鬼ごっことは、神の真似をすることが原義ととることもできる。
ちなみに、子どもが鬼ごっこや神の遊びをするものと考えられているひとつの理由には、古来、子どもが神や鬼と同一視されていたことと無縁ではなかったようだ。昔話の中で子ども(童子・童女)が主人公で登場し、大人でも手に負えぬ鬼を退治してしまうのは、子どもが鬼よりも強い鬼、あるいは鬼の邪気に打ち勝てる聖なる存在とみなされていたからである。
子どもには不思議な力が秘められていると考えられていて、神に近い存在とみなされていたから、多くの重要な神事にも、童子・童女は主役級の大役を任されてきたのである。その、子どもが行ってきた神事・祭りが、遊びとなって今日に伝わった疑いが強いのである。
とすれば、伝統的な「遊び」も、軽視することはできない。
たとえば……つい近年まで女子の遊びの定番であったカゴメ歌にも、謎がないわけではない。
カゴメ歌といえば、鬼が目を塞いでしゃがみ、そのぐるりを他の子どもたちが取り囲み、歌を謡い、立ち止まったところで、後ろ側に立った人の名を当てるというゲームとして知られる。
目に見えぬ背後の人物を言い当てるということも何やらオカルトじみているが、この、中央でかがみ込んだ人物を取り囲むのは、霊媒者に神おろしをする形とそっくりであるともいう。
たしかに、カゴメ歌は、不可解な歌詞である。
カゴメカゴメ(籠目・籠目)、籠の中の鳥は、いついつ出やる。夜明の晩に、鶴と亀がつっぺった(すべった)。後ろの正面だあれ。
籠の中にいる鳥は、はたして閉じこめられているとでもいうのであろうか。そして、夜明の晩という矛盾、何の脈絡もなく鶴と亀が出てくるのはなぜか。そして、なぜ後ろの正面を推理しなければならないのか……。知らず知らずに口ずさんでいた歌が、不気味な謎を持っていたことに気づかされるのである。
カゴメ歌を記した最古の文献は、江戸時代の安永8年(1779)のもので、そこには、「むかしむかしよりいいつたえし かごめかごめのものがたり」とある。
このことから、カゴメ歌が少なくとも江戸中期には遡ること、しかもこのとき、すでに「むかしむかしから伝わる」「物語」と認識されていたことがわかる。
カゴメ歌を継承してきた者が童女であり、童女が巫女としてきわめて宗教的意味を持っていたことは無視できない。というのも、古代より語り継がれた星の数ほどの民話・伝承の中でも女性の悲劇にまつわる代物には、あるひとつのパターンがみられる。その根が想像以上に古く、しかも、カゴメ歌にも、この「様式」が当てはまってくるからである。
それは、たとえば鶴の恩返しであり、天の羽衣伝承、『竹取物語』(かぐや姫)、奈良県の中将姫伝説、北陸地方の奴奈川姫伝説である。
これらの話の中のことごとくが、シャーマン(巫女)的要素を含んでいること、最後に悲劇的な幕切れが用意され、天に飛んで帰る(死、自殺を含む)こと、さらには「水(沼・湖・海)」「鳥(白鳥・羽衣を含む)」「カゴ(籠・籠目・亀・亀甲、籠の材となる竹)」「機織(天の羽衣・神衣を織ること、すなわち鳥のイメージとつながっている)」といった、古代日本の民俗信仰の痕跡が濃厚にみられるのである。
これらの説話が、新しいもので中世、古いものでは神代(つまりはヤマト建国直前の混乱期の話であろう)まで遡り、予想以上に古い題材であることも興味深いが、問題はカゴメ歌の中に、この「女性(巫女)の悲劇の説話」と共通のパターンが見出せることなのである。
しかも、この遊びの形式が、一種の「神おろし」であり、「童女(巫女)」たちの手で継承されてきたところに、深い秘密を感じずにはいられないのである。
カゴメ歌には、千数百年にもわたる女人の恨みつらみ、執念が込められている……これが、カゴメ歌を追ってみて行き着いた答えであり、「カゴメ歌的なもの」が語り継がれてきたのは、この女人の悲劇が、歴史の秘密を隠し持っていたからであろう。
※本記事は関裕二『わらべ歌に隠された古代史の闇』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集しております。