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小津映画の違和感を紐解く

2016.12.04 15:08

みんなは小津安二郎の映画を見たことがありますか。昭和を代表する映画監督らしいのですが、自分が初めて小津映画を見た時は、違和感を感じまくりでした。母から「淡々とした映画だよ」ってことだけは事前に言われていたので、それは覚悟していました。でも、それ以外にも何かと違和感ポイントがたくさんありました。

そんないくつかの違和感のなかでもひとつ取り上げたいのが、整然とした構図や短い簡単なセリフの繰り返し、奇をてらわない単純なストーリー展開などから見受けられる、微塵の妥協も感じられないほどまでに徹底された”雑駁性の排除”です。

最初は意味不明でした。日常のどこを切り取ればこんな色彩的配置的にバランスのある画を切り取れるのか(これは小津への賛美というよりも、「こんな日常存在せんやろー」と非現実的なまでの小津の美的感覚を不思議に思った)。また、「飲もう、飲もう」「そうだね、飲もう。うんと飲もう」(これは、小津映画に実際に登場したセリフではなく、便宜上仮定した俺のアドリブセリフ)みたいな、平易な単語を不自然なほどに繰り返す様子。

なんでだろう。と思い、蓮實重彦の有名な小津評論やその他の評論を読んでみたものの不可解なままでした。

でも、それからしばらくして、「もしかしたらこういうことかな?」と一筋の光みたいなのが見えるようになったのです。それは、巷にあふれる広告コピーに対する嫌悪感を抱いたときがきっかけでした。

商品名を入れ替えたら何でも応用できそうなキャッチコピー、いかにも「うまいこと言えたでしょ」感が漂う語呂合わせコピー、一見すると語感は良いけど恩着せがましい偽善コピー。

そういうなにか装飾や脚色にまみれさせて本質を打ち隠すような広告コピーと比べると、小津映画は構図からひとりひとりのセリフまで不純なものを徹底的に排除している。「良いこと言ってやろう」というようなだれも頼んでもいないのにわざわざ観客に教えを説くようなことは決してしない。そんな小津の無垢な世界観というのは、「してやったり」感を覚えさせる陳腐でこってりとし胃もたれを起こしてしまうようなコピーより、アレルギー反応なくそっと心のうちに入り込んでくる。それが、小津映画の魅力だとぼくは思っています。

ただ、だらしなく、煽るようなキャッチコピーで溢れかえった世界に慣れきってしまった現代人にとっては、整然とした小津映画に、最初は違和感を感じずにはいられないのもまた事実ではあるのですが…