《 清寥寥白的的 》せいりょうりょう はくてきてき
どくだみの十字に残る涙かな 五島高資
Teardrops
lingering on the white cross
of heartleaves Taka Goto
Facebook・近藤裕子さん投稿記事 《 清寥寥白的的 》せいりょうりょう はくてきてき
碧眼錄にある〈無心の境地〉を意味する言葉です
〈寥寥〉とは 清 を強調する表現で寂静で 清らかなこと。
〈的的〉は 白 を強調する表現で人品の清廉なこと。
何事によらず 自我や先入観は 正しい判断力を遠ざけます。
人と接する時もまた然り。
明るく清々しい人間関係を築くには 、真っ白な心でなければなりません。
それが 相手に対する礼儀であり自分の誇りであるべきだと思います。
思無邪(思いに邪なし)に通じる素晴らしい禅語です。
http://yokohama-re-style.blogspot.com/2012/07/blog-post_16.html 【禅語「清寥寥 白的的」】より
「清寥寥 白的的」(せいりょうりょう はくてきてき)
心が透き通って明瞭である状態をいいます。自我や先入観にとらわれることなく、常に真っ白な心で接することで相手の真意がわかり、自分との接点が見出せます。
意見や考え方をぶつけ合うのではなく、互いに接点を見つける心をもつ。
こんな関係からは、絶対に好き嫌いという感情は生まれません。
(出所:枡野俊明氏著「禅の言葉)
人は皆、自分が好かれる存在でありたいと願っています。
嫌われてもいいという人でも、本心は好かれたいと思っている。
当たり前のことです。
そして、嫌われたくないという意識があるために、嫌われることにとても敏感になります。
もし、誰かに嫌われていると感じている人は、一度自分のことを冷静に考えてみることです。
相手のことではありません。
おそらく、その原因は「自我の強さ」にあるのではないでしょうか?
「我が強い」という言い方がありますが、人間関係の摩擦の多くは、この「自我の強さ」によるものと感じます。
ただ、「自我」を大事にすることは悪いことではありません。
誰もが、自分を大事にする気持ちがあるし、自分の意見や考え方が正しいと信じています。
それがひいては自身に繋がっていく訳ですから、自我を大切にするのは当然でしょう。
しかし、「大切にする」と「執着する」ことは違います。
「自我」にこだわるあまり、他人の意見を受け入れない。
不平不満を口にする。
これでは、周りから嫌われて当たり前です。
人間は、不思議なことに、真っ白な心で接すれば、相手もまた素直な気持ちになります。
自分を変えようとする努力をすることです。
それでも嫌われたらその人と関わる必要はありません。
「分かってくれなかった」と思えばいい。
難しい話しですが、「自我に執着することはいけないこと。しかし、自我を無くすこともないのです。」
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/091001.html 【清寥々 白的々】より
(碧巌録)せいりょうりょう びゃくてきてき
『白馬蘆花に入る -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・1987.7.禅文化研究所刊)より
「清」とは、すがすがしいこと、「白」とは、よごれがない、やましくないこと、「寥々」とは寂しいさま、空しいさま、静かなさま、「的々」とは明らかなさま、言ってみれば無欲恬淡てんたんとして、真正直、何のてらいも、わだかまりもない清々しい感じを「清寥々、白的々」というわけです。
『碧巌録』第三十四則にある話です。
懶瓚らんさん和尚、衡山こうざん石室の中に隠居す。唐の徳宗とくそう、其の名を聞いて、使を遣わして之れを召す。使者、其の室に至って宣言す。「天子詔みことのり有り、尊者当まさに起たって恩を謝すべし」と。瓚さん、方まさに牛糞の火を撥はらって、煨芋わいうを尋ねて食す。寒涕かんてい、頤おとがいに垂れて未だ嘗かつて答えず。使者笑って曰く、「且しばらく勧む、尊者、涕はなを拭え」と。瓚曰く、「我れ豈あに工夫して俗人の為に涕はなを拭ぬぐうこと有らんや」といって、竟ついに起たず。使、回かえって奏す。徳宗とくそう、甚はなはだ之これを欽嘆きんたんす。
唐の時代、徳宗の御代みよ、南岳なんがく山中の衡山の石窟に隠れ済む懶瓚和尚の所にある日、参内さんだいを求める勅使が来ます。高徳の噂が都に達していたのです。使者が懶瓚の石室に行ってみると、和尚は牛の糞を燃やして暖をとりながら、中で芋を焼いて食べている最中です。顔を見ると、涙やら鼻水やらが垂れて、芋と一緒になって口へいく様子です。使者は笑って、「天子よりお召しです。速やかに都へ上るのが好よい。しかし、まず、その洟はなを拭いてはどうですか」と言うと、懶瓚、「俺は今、一大事因縁のために工夫中である。洟をぬぐう手間が惜しい、俗人に法を説く暇もない」とあっさり断ります。使者の報告を聞いて、徳宗は満足します……。
この懶瓚和尚、本名は名瓚みょうさんと言います。この話から、ものぐさ瓚さんさん、なまけもの和尚という意味で懶らん(おこたる、なまける)という字が上について、懶瓚和尚というあだ名がつけられたといわれます。
『碧巌録』の編者、圜悟えんご和尚はこの話を引いて、懶瓚和尚を「清寥々 白的々」と讃えます。
私たちは果たして懶瓚和尚のように地位、名誉、金に恬淡てんたんとして、しかも、あけっぴろげに、すかっとしておれるでしょうか。
寛政かんせいの三奇人の一人、『海国かいこく兵談へいだん』の著者として有名な林子平はやししへい(1738~1793)は、罪を幕府から得て、禁錮きんこに処せられ、伊達藩にあずけられます。そして一室に幽居したままで、一度も室から出たことがありませんでした。
「禁錮の命は幕府から受けたことで、この伊達藩には関係がない。ことに年月もすでに長く経っていることゆえ、たまには外出せられても、かれこれ言うものは誰もなし、また幕府へ知れようはずもござらぬ。少しは近くのご友人でもお訪ねになり、お心を晴らされてはいかがでござるか」
ある人が気の毒に思ってこう勧めると、子平はその厚意を謝しながらも、
「いや日月じつげつが天にござる。人は欺あざむくことができても、天を欺くことはできませぬ」
と言って、ついに一生涯、室を出ることがなかったといわれています。
終戦直後、ヤミ米を食べるのを拒否して、栄養失調で亡くなった、ある大学教授の話と思い合わせて、天は欺くべからず、自己を欺くべからず、と徹底的にすじ・・を通した生きざまもまた、「清寥々 白的々」ではないでしょうか。名声欲、権勢欲、利欲、色欲、物欲、あらゆる欲望の渦まく昨今、静かに坐して、「清寥々 白的々」、心静かに念じたいものです。