光と一つになる
どくだみの十字に残る涙かな 五島高資
Teardrops
lingering on the white cross
of heartleaves Taka Goto
Facebook・清水 友邦さんさん投稿記事 「光と一つになる」
人は誰でも死にます。この世を去ります。死を避けることは誰も出来ません。
しかし、現代社会は死を忌み嫌います。死は悲しみであり、恐ろしく、最大の不幸だからです。死は悪であり、負けることであり、ネガティヴなイメージに満ちています。
人は死に対して動揺し、うろたえます。死と向き合い受け入れることを拒否して逃げてしまいます。
先住民の文化で死とは魂が肉体から解き放たれて自由になることを意味しています。
別な言葉で言えば時間と空間を超えて存在の形態が変わることです。
風になります 水になります 川になります 雨になります 土になります
花や樹木や岩になります 雲や青空になります 鳥や蝶々になって自由に飛びまわり
星になって輝き 宇宙全体の中に溶け込みます
臨死体験や体外離脱体験、シャーマン意識状態などの非日常的な変性意識の体験をすると、
宇宙に存在するあらゆるものがお互いにつながりあっているという自覚が芽生えます。
この世に偶然はなく、共時性に満ちあふれた深い神秘の世界が現れます。
それまで自分だったと思っていた肉体が機能しなくなった時自己の本質に気がつく最大のチャンスです。
チベット密教では死の瞬間に法界(本当の世界)からクリヤーライト(根源的な叡智・原初の光明)が輝き現れてくるので、その光と一つになることによって生死のカルマの業から解脱できると教えています。
ところが死にゆく人の意識が眠りこけたままだと肉体の死を迎えても解脱できずに再び転生輪廻を繰り返すのです。
心の本性の上を覆っている偽りの自我を取り去ってしまえば、光明はいつでも輝いています。
肉体の死ではなく自我の死を迎えなければ光明に気づけません。
わたしたちの本質は肉体ではなく光明そのものであり、今ここに変わることなく存在しています。
生きながら死んでいる存在なのです。
自分の本質が身体ではないということを知っている文化が花開くなら、必要以上に死を恐れる必要がなくなるでしょう。
親父が他界したとき私はインドに滞在していました。
カミさんから知らされたとき、すぐに飛行機の予約をしましたが取れませんでした。
長男が帰ってこなければ葬儀ができないというので、再度、航空会社を訪れて父親が亡くなったので急いで帰国しなければならない旨を真剣に話しました。
すると担当者の顔色が変わり、すぐにチケットを手配してくれました。
鉄道も飛行機も親父が死んだというとすぐにチケットが取れたのにはびっくり驚きました。
何事もスムーズに事が運ばないインドですが日本と違って家族との絆をなによりも大切にする国だということがわかりました。
おかげであっと言う間に帰国できて日本の葬儀にまにあったのです。
母親が他界したとき、坊さんを呼びませんでした。
親父の葬式の坊さんに幻滅したからです。自分で母にお経をあげて納棺して火葬しました。
死者の遺体が腐敗・白骨化して霊魂が地上から離れるまでの期間を古代では殯(もがり)といいました。
心理的には死による喪失感が癒されるまでの期間となります。
葬祭は遺族にこころの区切りをつけてくれます。
もし悲しみを心に閉じ込めて死から逃げてしまえば殯(もがり)が終わらないことになってしまいます。悲しみを溜め込んでしまうのです。
母の時には次のように話しかけました。
お母さん あなたの肉体の活動は停止しました。この地上の人生は終わったのです。
お母さんお別れです。お世話になりました。ありがとうございました。肉体の死を受け入れて下さい。それでも私という意識があるのは本当は死んでいないからです。
眩しい光が見えますが怖がらないでゆっくりと光の中に入っていってください。
囚われた考えや身体から自由になります。驚くような音が聞こえるかもしれませんが
今までの考えや執着を手放して光の方へ歩いてください。
生きていた時の思い出 あらゆる感情 それはもう過ぎ去ってしまいました。
心に浮かぶ古い考えはもう必要ありません。
お母さん あなたはもう死なないことを知っています。光輝く世界にくつろいでください。
リラックスしてあるがままにしてください。目の前で輝く眩しい光の中に入ってください。
お母さんも同じように光輝いていることを知るでしょう。
それは阿弥陀様やお釈迦様が出している光と同じひかりです。
それは地上を終えた魂が必ず出会う光です。その光はすべての執着から解き放ってくれます。光の道を歩むとわかります。本当のお母さんは光なんです。すべては光だったのです。