フランス革命の道15-仏王太子誕生
2021.05.18 10:10
1781年10月22日、仏王妃マリー・アントワネットは、とうとう男子を出産した。そのとき夫ルイ16世は、そのことを記録しているから、マメな旦那である。このときマリー25歳、第一子を出産してからは順調で、4人の子供を産んでいる。最初はぎこちなかったが夫婦生活も安定してきたのだろう。
王太子が生まれたときは、その場の女性達が大喜びで、あちこち触れてまわった。ルイ16世はまずその子に洗礼をさせた。なんと王妃は生まれた子が男子か女子か知らされず、目に涙を浮かべたルイ16世が告げた。そのとき王妃は「この子は国家のものです」と言ったという。
翌82年、1月22日、正式な祝賀会が開催された。その頃には、パリ市も財政が窮乏してきており、結婚祝賀会のような花火打ち上げとはいかなかった。アメリカ帰りのラファイエットは、特別に招かれて馬車の傍に一人で近づき、マリーの手にキスする栄誉を与えられた。
2日後には、1万3千人の大仮面舞踏会が開かれたが、その倍ほどが参加したらしい。王妃マリーは今回はホスト役として、自分一人はしゃぎはしなかったようだ。王室にとっても、マリーにとっても、この時期は幸福の絶頂といえる時期だったかもしれない。