おもかる大師
通勤途中の山道に「おもかる大師」と呼ばれる地蔵群があり、その一画に「おもかる石」がある。
おもかる石とは、お賽銭を入れ望みを言って石を持ち上げる。そのとき軽ければ願いは叶い、重ければ叶わない。という占いじみたもの。
おもかる石で有名なのが京都の伏見稲荷大社で、持ち上げる石は丸っこく絵に書いたようなベターな石の姿をしている。
また、大阪府にある住吉大社にもおもかる石があるが、こちらも綺麗な円形で腰の位置に置かれている。
苦言を呈すわけではないが、件のおもかる石は大師様のなりをしており、どこか触れるのに躊躇してしまう。祠の中に入っており、しゃがんで腕を伸ばさなければ届かないのだ。
私も一度挑戦したが持ちづらい配置に構えているせいか、手が滑って持ち上げることすら叶わなかった。
これで願いが成就するのなら、みな悩みなく幸福であろう。だからおもかる石の言い伝えは迷信に過ぎない。
●この先は余談だが、おもかる大師をあとにし石段を下って車へ戻る途中「黄色い蝶」が傍を飛んでいた。
その日はドシャ降りの大雨日和。雨の日、蝶はあまり動かず身を潜めているという。
スピリチュアル脳の私は、全ての点と点をスピリチュアル関連の線で繋げたくなる習性のため、黄色い蝶の目撃は幸運の予蝶(予兆)だという説を思い出し欣幸となった。
次に私はおもかる大師から少し登った山中にある通称「ジンギスカン細江」と呼ばれるレストランの廃墟であり、心霊スポットとして名高い場所へ足を延ばした。
動機は興味本位ではなく、未浄化の霊魂が彷徨っているならと、供養の念をあげにいった次第だ。
仏教ではお不動さんを信仰している私、不動明王真言を唱え成仏祈願をした。
火事で廃墟となったらしく、ボロボロの骨組みと無数のゴミが投棄されており異様な雰囲気を放っていたと記憶している。
そしてここでは「大蛇」を目撃した。
またしてもスピリチュアル脳が覚醒し「蛇の目撃幸運説」が脳裏をよぎり一人歓喜した。
こんな出来事を幸福の前触れに結びつけ、頭がお花畑だと思うかもしれないが、虫は霊的媒介となるメッセンジャーであるため、虫の目撃後の幸運というのは実際に数多報告されているのだ。