知識と経絡
東洋医学を習うと、最初に経絡や穴の存在があると定義されます。
しかし、それを教えている学校の先生も実は単なる仮設を唱えているだけに過ぎません。目の前にいる生徒の身体に経絡がどこにあり、どう流れているのかを正確に教えることはできていません。そして、その人の体質なり、病状とどう関わっているかを示すこともできません。
なぜなら、経絡や穴は普通に見える訳でも触れる訳でもないからです。 だから本に書いてある知識を生徒に教えているだけです。 学校の先生の悪口を言っている訳ではありませんから、誤解しないでくださいね。学校では東洋医学の入り口を説明するのが大事な役目です。
経絡や穴は、簡単に五感で捉えることができないのだから仕方のないことなのです。つまり物として明確には存在していないということです。
一般的な物としての定義からは、けっこう外れているということです。 しかし、ない訳ではないので、その概念やキッカケを教えてもらえるところが学校なのだと思います。
経絡や穴の存在を確認(まずは触る)することができたら、身体の生きた情報がそのまま伝わってきます。それさえできれば、知識だけに頼る必要はないとわかります。知識から入るのは、あくまでも学校レベルです。実践の予備段階です。
身体の反応を理解し、その理解を深める為に知識を利用することが重要です。あまりにも知識に頼り過ぎて、自分から身体の反応を診る(経絡や穴を診る)努力を怠っていると鍼灸の良さが絶対に伝わらないと思います。
身体の情報を診ることができるようになってくると、身体からの情報の多さに驚きます。知識なんて桁違いの情報量です。その人が生きてきた証が身体に出ているのですから当然です。そんなものを全て本に書けるはずはありません。知識は、その断片を捉えているに過ぎないからです。
それを科学的根拠と言って統計にしようとしても、生きた情報ではない末端の末端になってしまう訳です。もちろん、その努力をしている人を批判している訳でもありません。それはそれで重要な仕事ですが、目の前に居る人の状態を良くしようとしたら、身体から出てくる溢れるような情報を裁く必要があります。
触れることや見ることができるようになると、情報を区別することに必死になります。そして、その情報をうまく区別することができるようになると、僅かな刺激で最大の効果を得ることができるようになってきます。驚く程、短時間で少ない刺激で変化が起こります。