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温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第70回】 麻田貞雄 編・訳『マハン海上権力論集』(講談社学術文庫,2010年)

2021.05.21 08:00

安全保障や防衛の分野では「宇宙・サイバー・電磁波といった新たな領域」に対する備えや能力を強化しなければならないとの声が日々増していく。もっともなことだと思う。そして、いわゆる敵基地攻撃能力の保有を巡っての議論もこれからより熱くなっていくのだろう。これについては「敵」がこちらを攻撃するのを思いとどまるように仕向ける「抑止力」にリンクさせての建付けや、迎撃態勢だけに特化することのコスト高に絡めて論じられることが多いようだ。90年代頭に冷戦構造が終わり、ある種の緊張が解かれていた状況が変わりつつある。この国が長らく軍事といった言葉をなるべく避けるようにしてきたのは誰しもが知っているが、そのために軍事がどのような思想や考え方の積み重ねのもとに構築されてきているかを知ることも学ぶことも少なくなった気がする。「平和を欲する者は戦争を理解せよ」といった有名な言葉があり、私はまったくこの言葉に同意なのだが、最先端の分野と法的整合性だけで安全保障や防衛を論じてお終いとするならばそこに不安を覚えるのだ。


さて、一昔前にアルフレッド・セイヤー・マハンという人がいた。今現在で一般的にどのくらい知名度があるかは正直なところわからない。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」で秋山真之がマハンを訪れるくだりで知った人もいるだろう。なんとなく、「海戦の目的は決戦を追求して敵海軍の全面的な殲滅にあり制海権を有する重要性をといた」ことも漠然と知られているかもしれない。あるいは人によっては大艦巨砲主義の古臭いイメージで見ているとも思う。海軍軍人だったマハンという人はかつて世界の海軍に大きな影響を与えた。マハンは1890年に「海上権力史論」なる本を書き、それまでは無名の海軍大佐が一気に世に知られる存在となったのだ。日本ではこの作品が世に出たとき偶然にも米国視察旅行に赴いていた当時枢密院書記官の金子堅太郎が読み終え、帰国次第にその一部を訳して海軍大臣だった西郷従道に進呈している。西郷はこれを海軍の機関紙に掲載させてこの本が日本に知られることになった。以後、先の秋山真之などを含めてマハンの考え方は日本海軍に大きな影響を与えていく。


マハンは米国海軍大学校で校長を務め、海軍少将の制服に身を包んだ肖像画がいまでもそこに飾られているという。ただ、今日ではマハンの「海上権力史論」を真面目に通読する人は限られるだろう。生前、マハンは現役時代と退役してからを含めると相当な点数の書き物を残した。その網羅した範囲も戦略論、歴史、伝記、時事評論、国際政治、海軍問題、歴史哲学、宗教論などとても幅広いのだ。他方でその著述スタイルには賛否両論があり、ときにあまりにも思い込みありきと強く批判もされるのだ。現代からみれば差別主義にしか思えないような論点も含まれているのは確かだ。ただ、誰しもがその時代に含まれる「空気」からは無縁で生きることはできないので、そこばかりをあげつらっても仕方がない。


さて、マハンが「海上権力史論」で提示した概念に有名なシーパワー(海上権力)というものがある。この言葉はマハンが世の中の注目を引くためにあえてキャッチ―な表現を用いてそれが大いに成功を収めた。ただし、マハンはこのシーパワーの意味合いを正確には定義しないままで論を展開してしまうのでややこしい部分もある。シーパワーは基本的には二つの意味を有している。簡潔にいえば、ひとつは海軍力の優勢によって可能となる海洋の支配であり、文字通りシーパワーという一般的な語感に近い。もうひとつは国家に繁栄と偉大さを招来させる海上貿易、海外領土、外国市場を活用する権能の複合体を意味して海洋国家に近いものだ。「海上権力史論」の冒頭で、マハンはシーパワーといった言葉を軸にして、国家と国家の間に海上交易などをめぐっておきる戦争においては、その言葉がどれほどの意味を持っているかを命題として示すところからスタートする。


「海上権力の歴史は、主として国家間の抗争、相互の角逐、しばしば戦争に至る武力行使の記録にほかならない。
海上貿易が各国の富強に甚大な影響を及ぼすことは、国連の発展と盛隆を律する真の原則が発見されるはるか以前から、はっきりと認められていた。各国の為政者は、貿易の利益の圧倒的な分け前を自国民に確保するため、あらゆる努力を払って他国を排斥しようとした。まず平和的手段によって独占もしくは禁止条約を制定し、それが効を奏さないときは直接武力に訴えたのである。
このように貿易の利益の-すべてではないにせよ-大部分を専有し、遠隔の未開拓地域における通商上の利益を先占しようとして競争することから、利害の対立や敵対感情が生じ、戦争を引き起こすことになる。一方、他の原因から起こる戦争においても、制海権を掌握しているか否かによって、戦闘の遂行およびその結果が大きく影響されるのである」
(緒論より)


この命題の是非や価値判断をここでこれ以上は入らない。こうした考え方はかび臭いものだといって蓋をしてしまうのは簡単だ。ただ、自分がまったく支持しない考え方を、他者も同じくまったく支持しないとは限らないのだ。たとえば他の国の海軍でマハンは既に読まれなくなったかといえばそうでもない。そこから今日にも何かしら通用しうる英知を絞り出す努力が放棄されているかといえばどうも違うようだ。「彼を知り己を知らば百戦してあやうからず」は「孫子」の有名な言葉だが、他者がどのような思想の積み上げに戦略を構築しているかといったことに無関心では本来成り立たないのが安全保障であり防衛の領域な気がする。かつて、90年代の終わり頃、日本は日米ガイドラインの見直しのプロセスで「周辺事態法」を詮議した。そのときは「周辺事態とは事態の性質に着目した概念であって、地理的概念ではない」といって煙に巻いて終えている。当時はそれで終えることができた時代であったのだ。最先端のことを研究するのは大いに結構で必要なことと思う。他方でかび臭い思想からの積み上げによってつくられた戦略を他者が持つならば、それもまた無視ができない時代ではないかとも思うのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。