すこしずつ始まってます
お店=場を作ること。
築100年以上たつ小屋の改築に、出来るだけ古材を使いたいと川原さん。
川原さんはリノベをお願いしている大工さん。
いそいそと川原さんのベンツ(軽トラ)で伺った。
縁あって頂きに伺った古材の持ち主は、
もう使わないので、
と快く差し出してくださった。
昔は根太だった、梁だった、柱だった、鴨居だった。
今はもう使えなくてそのままになっていて。
素人の目ながらこのままはもったいないなー、と思った。
雨風にさらされていたのに、
小雨ふる中で100年以上も前の木たちは艶を持ち、
そして湿気を帯びて美しい香りを放ってさえいた。
その古い材を、川原さんはていねいに「とんとん」「とんとん」
と叩いて使えるかどうか、見極めている。
「とんとん」は
「まだ使えるよ」
「ぼくはもうくたびれたんだ、、、」
と教えてくれる。
「君たちをどうしようかなぁ」とつぶやきながら、
川原さんはゆっくり丁寧に古材と向かい合う。
ときにしばらくじっと木に触れて
その木と波長を合わせて(会話して)いる。
その中からよし、と材を選んでいく。
そして、「これくらいかな」
と、多くもなく少なくもなく、ちょうどベンツに載せられるくらいで終了。
全部は選べない。
あ、行ってしまうんだ、と
大きな梁や柱たちの悲しみが伝わってくるようだった。
あの材たちの、「まだ生きている」感。
家を構成している一員であった誇りのような感覚をもらったの。
ふいに、「いま、このこたちを救い出した」という思いと
残す材に申し訳ない思いがわいてきた。
残された古材たちはもう使われることなく、
朽ちていくか燃やされて原子に還っていく。
引き取った材が、残った材のいのちを引き受けてくれたはず。
それはまたうちで新しい生になっていく。
川原さんが選ばなかった材を、わたしは
「これ、持って行ってもいいですか」
とお願いして積んでもらった。
木に施された道具のあとが美しくて、連れて行ってと言われている気がして。
ベンチになるといいな、と思っている。
つづく。
#ぼちぼちお店作りのことを投稿していきます