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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

アマデウスの旅13-劇作家ダ・ポンテとの邂逅

2021.05.22 10:56

1782年初め、ロレンツォ・ダ・ポンテがウィーンにやってきた。彼こそは、これからモーツァルトのオペラ台本を作り、共にスターダムに登る男である。この男はイタリア人で神学校の教師をしていたが、女好きで啓蒙思想かぶれで追放され、ドレスデンで宮廷詩人のアシスタントとして腕を磨いた、とき33歳。

ウィーンではあの映画「アマデウス」の悪役宮廷楽長サリエリへの紹介状があって、さっそくオペラ台本をつくった。当時皇帝ヨーゼフ2世のドイツ国民オペラ構想は評判が悪く、再び陽気なイタリア喜劇が人気を博していた。しかし処女作は当たりをとれなかった。

アマデウスは、父の許しを得ず勝手に結婚して自立を果たした。生活のために、貴族のレッスンをしたり、音楽界に招かれたり多忙な日々を送った。83年3月23日には皇帝来席のもと、リサイタルが行われ大成功した。ここで交響曲第35番「ハフナー」が初演されている。

その後アマデウスは、故郷ザルツブルクに錦を飾った。しかしその間預けていた子供は亡くなってしまう。モーツァルトは再びオペラを作りたくなり、台本作家をイタリアまで探す。その中にはダ・ポンテの名もあった。しかしダ・ポンテもサリエリの第二作に忙しく、「ときあらば」というに留まった。

下は今になってできたダ・ポンテのオペラ「フェニックス」