Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

綱火

2018.05.23 14:13

加蘇山の千本かつら

山祇の綱火や羅生門蔓  五島高資

The fuse of the mountain god —

Meehan's mint in bloom      Taka Goto

https://yamaon.ojaru.jp/ozaku.html 【石裂山 おざくさん 標高879.5m 3等三角点  &月山 つきやま・がっさん 標高890m】   国土地理院の地図

駐車場から石裂山頂まで約1時間35分。石裂山頂から月山頂まで約15分。 栃木県鹿沼市

石裂山は尾鑿山とも記される。山岳信仰、修験道の地として古くから開ける。日光を開山したといわれる勝道上人が神護景雲年間(767~770)に開いたとする加蘇山神社(かそやまじんじゃ、かそさんじんじゃ)が山の東麓にある。『三大実録』元慶二年九月十六日条に「下野国賀蘇山神」の名が登場するが、石裂山南麓にも一字違いで同じ読みの賀蘇山神社があり、どちらの神社を指しているのか定かでない。東腹にある洞窟内に祀られる奥ノ宮への参道途中には県天然記念物の千本桂(せんぼんかつら)と呼ばれる古木がある。

月山は石裂山の北に隣接し、山頂に摂社月山神社(祭神:月読命)が祀られる。声に出して読むと加蘇山(かそさん)は月山(がっさん)とも聞こえることから、元の山名は加蘇山と思われる。

カタクリ、ヤシオツツジの群落があり、4月下旬頃が見頃。前日光県立自然公園に属す。


http://mirai-kankou.com/events/102 【綱火 小張松下流・高岡流市東部】 より

綱火は、あやつり人形と仕掛け花火を結合し、空中に張りめぐらせた綱を操作し、囃子に合わせて人形を操る伝統芸能です。別名「三本綱」「からくり人形仕掛け花火」とも称し、当市には小張松下流と高岡流の二流派が伝わっています。 昭和51年(1976)に国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。

小張松下流綱火

中世から近世にかけて小張城主であった松下石見守重綱(まつしたいわみのかみしげつな)が考案したものといわれ、戦勝祝いや犠牲者の供養のために陣中で行ったと伝えられており、重綱は鉄砲を扱う火薬師であったとも言われます。 家臣として仕えた大橋吉左衛門が助手をしていた関係から、火薬の調合などを伝授され松下流と名付け、受け継がれています。 小張愛宕神社の祭礼は、毎年8月23日の夕方に繰り込みし、翌24日に綱火を奉納します。 現在は火難除け・五穀豊穣を祈願して奉納し、小張松下流綱火保存会が保存・伝承しています。

高岡流綱火

毎年8月下旬に高岡愛宕神社に火難と病難除け・家内安全・五穀豊穣を祈願し奉納されます。「繰り込み」という行事から始まり、手筒の花火によって神社は燃えんばかりの火の中に包まれます。 この行事を中止すると地域に大きな不幸が起こるといわれ、今なお続けられています。 高岡流綱火の起こりは、江戸時代の初頭とされており、鎮守の祭りの時に大樹から赤と黒の蜘蛛が舞い降り巣を作る様から、村人が創作したと伝えられています。 火薬の配合や技術などは秘伝とされ、現在は「高岡流綱火更進団」が伝統を守り続けています。


https://hitokoto.or.jp/tsunabi/  【からくり綱火 | 一言主神社】 より

一言主神社と言えばからくりと言われるほど、当社と最も縁の深い郷土芸能です。当社例大祭が花火祭と呼ばれる由縁であり、現在も奉祝祭にて披露される「からくり綱火」のご紹介をします。

奉祝祭の最後を締めくくる仕掛け花火

「からくり綱火」は一言主神社例大祭の最後を締めくくる、江戸時代前期より伝承される花火と木偶人形による芝居劇を組み合わせた特殊芸能です。空中に網目のように張り巡らせた綱を巧みに操り、空中で花火とともに演じられます。

からくり綱火は当社の他につくばみらい市の小張松下流(小張愛宕神社)、高岡流(高岡愛宕神社)を合わせ全国に3箇所しか例のない郷土芸能であり、当社の綱火は総本社の鎮座する葛城山にちなみ「葛城流からくり綱火」と呼ばれています。葛城流からくり綱火は特に変化物が多いことで知られています。

当社からくり綱火は元々、村落内の火伏の神である万治2年(1659年)開基の三峯神社(明治42年当社境内へ合祀)御造営の際に奉納された火祭がはじまりと云われています。その後鎮守である一言主神社へ奉納されるようになりました。

平成11年には「大塚戸の綱火」として、茨城県指定無形民俗文化財へ登録されています

糸繰桟敷は、東側に掛けられてある。・・・抜けあがる程でもないが、色の白い細面の三番叟が、金らんの被り物に編子の袴を着けられて、右手に扇子を持ち、左手に御祓を持つて吊るされてあつた。

大正2年の『常総鐵道名勝案内』には「毎年陰暦八月十三日例祭の際に夜を徹して擧行する大烟火は規模の雄大と技術の精妙とを以て知られ関東一の名あり、眞に一大壯観とすべく、當日遠近より來観の人極めて多し」と当時の盛況ぶりが伝えられています。

葛城流からくり綱火は戦後一時期の間中断をはさみつつも、昭和44年に結成された「大塚戸芸能保存会」の手によって現在も奉納が行われています。また、平成25年からは例大祭(9月13日)近日の土曜日に新設された「奉祝祭」の最後を飾る行事として、より多くの見物を集めるようになりました。

からくり綱火の演目と内容

からくり綱火は、三番叟(さんばそう)、仕掛け万燈、当日の芸題の3部より構成されています。三番叟は、綱火の奉納に先立ち東西南北を清め固める舞で,,五人の引き手によって三番叟人形が操られます。仕掛け万燈は傘状の飾りのついた万燈で、花火が回転する万燈とともに中央から傘の部分へ美しく移ってゆきます。

当日の芸題は当社保管の『芸能目録之図』(文久4年(1864年))より、「安珍と清姫」、「那須与一」、「空海と文殊菩薩の智恵比べ」など67演目のうちより選ばれます。演目はそれぞれからくりによる仕掛けや変化の趣向を凝らしており、人形が花火ともに大蛇へと変化するなど見どころが多く用意されています。また、上演にあたっては、紹介の口上が述べられ、この近世芸能ならではの語り口も見どころの一つといえます。


https://www.ana.co.jp/ja/jp/japan-travel-planner/japanese-festival-omatsuri/0000001.html 【「お祭り」って何?】 より

日本人は何故お祭りに情熱を燃やすのか!?その理由と祭りの種類を知って、日本を深く感じよう!

地域、四季それぞれに魅力の溢れる日本。日本人は「八百万(やおよろず)の神」と言って、すべてに神が宿ると信じてきました。自然と神様に感謝し、生きることを喜び、コミュニティを育てるために行ってきたのが日本のお祭りです。

普段はまじめで勤勉なイメージの日本人がエネルギーを爆発させる機会でもあります。 なぜ日本人がそんなにお祭りが好きなのか。まずは一般的な祭りをカテゴリーに分け、特徴を見ていきましょう。

お祭りを知ることは、日本を知ること。普段見られない歴史に触れたり、地域の人と関わったり、新たな一面を見ることができます。お祭りのときは人々もとてもオープンで、その時にしかできない交流もできます。

ぜひ、いろいろなお祭りに行って、日本のエネルギーを感じてください。

1.お祭りとは?

日本のお祭りの本来の目的は「神様に感謝する」こと。「祭り(まつり)」という言葉の語源も「祀る(まつる)」です。神を慰め、祈願すること、またはその儀式を指し、土着の神様、神道または仏教に由来します。 日本人のお祭りに対する思いを理解する上で重要なのが、「ハレ」と「ケ」の概念。「ハレ」とは「非日常」、「ケ」は「日常」。祭りは「ハレ」であり、華やかに執り行うことで「ケ」をリセットする意味があります。

日本人は、この「ハレ」の機会を楽しみにし、「ケ」の日常を生きる活力の源としているのです。

また、神様とは関係のない新しいものもあります。例えば、地域おこしのための市民祭り、雪まつりや桜まつりなど季節に由来するもの、時代まつりのように歴史を祝うもの、サンバカーニバルや春節に代表される外国由来のお祭りなど。これらも文化を尊重し、季節に感謝し、人々を繋ぐため、日本に欠かせないものとなっています。

2.お神輿とは?

日本のお祭りと言えば「お神輿(みこし/しんよ)」。

お神輿とは、お祭りの時に神様が地域内を回る為に乗る「輿」(乗り物)のこと。半纏と呼ばれる祭り衣装を身にまとった担ぎ手たちが、神輿を肩に担ぎながら神社近隣の地域を回ります。災厄や穢(けが)れを吸収して清めたり、人々の豊作祈願や願いを聞き入れたりするために行われると言われています。

お神輿の魅力は、なんといっても担ぎ手の熱気。重いものは何百キロもあり、たくさんの人が力を合わせて肩に担ぎます。基本的にその町内に住む人が中心になって担ぐため、地域コミュニティの形成に大きく寄与します。

3.山車・太鼓台とは?

お神輿と同じく、神様の乗り物で町内を回るのが「山車(だし)」・「太鼓台(たいこだい)」。これらは、祭礼の際に引いたり担いだりする出し物。神輿よりさらに重く、車輪がついて、多くは人力で引きます。

「山車」はなぜ「山」の車なのでしょうか?それは、自然の山岳を模して作られたものだから。神様は山岳や山頂の岩や木に降臨すると考えられたため、山車はお祭りのあいだ神様を招き入れ、滞在していただくために作られました。その後、神様がもっと喜ぶよう、華やかな装飾がほどこされ、奏者や演者が乗れるようになり、町内を巡れるよう車輪が付けられていくうちに、今の形になりました。

山車から派生した「太鼓台」にも同じく車輪が付けられていますが、こちらは中で太鼓を叩く、担ぎ棒が付けられているなどの特徴があり、そのほとんどを関西や四国などの西日本エリアで見ることができます。

神様がお乗りになる山車・太鼓台の多くは、花や人形などの豪華な装飾が施されているのが特徴。京都の祇園祭のような風流なものは、歴史絵巻の豪華絢爛な世界が体験できます。一方、岸和田のだんじりのように、とても激しく走るものもあります。まったく違った雰囲気をぜひ楽しみたいものですね。

4.火祭りとは?

世界中の多くの文明において、火には特別な力が宿ると信じられてきました。日本も例外ではなく、火による浄化、火勢による霊力の強化などを求め、様々な火祭りが誕生しました。その歴史は古く、1000年以上続くものもあります。

日本の火祭りには、火を焚く,または数多くの松明(たいまつ)を使うなどの特徴があります。さらに、熱した炭の上を歩く、炎に飛び込むなど、激しく危険を伴うものが数多く存在します。有名なのは愛知県西尾市で行われる「鳥羽の火祭り」。燃え盛る炎の中に飛び込み、神木と十二縄を競って取り出し神殿に供える凄まじいもので、日本の祭りの原始の姿を伝えています。

5.盆踊りとは?

「盆踊り」とは、仏教に由来する「盆(ぼん)」の時期(7月・8月)に先祖を供養するための踊り。日本全国に1,000以上の種類があると言われます。広場の中央にやぐらを立て、やぐらの周囲を回りながら音頭にあわせて踊る形式が一般的。誰でも気軽に参加できるので、昔から庶民の楽しみであり、夏の風物詩として親しまれています。

その中でも「日本三大盆踊り」と言われるのは、秋田県の「西馬音内盆踊り」、岐阜県の「郡上おどり」、徳島県の「阿波踊り」。これらは地域を超え、全国に広がり楽しまれています。

6.裸まつりとは?

外国人が最も衝撃を受ける日本の祭りは「裸まつり」ではないでしょうか。これは文字通り、褌(ふんどし)など裸体に近い姿で参加する祭りです。

裸で行うお祭りには、海岸で神輿を担ぐ「潮踏み」や宗教行事である「蘇民祭」・「西大寺会陽」など、それぞれに違う意味があります。「裸まつり」という名前は最近になって付けられたふんどしで行われるお祭りの総称です。

なぜ、裸で行うのか?それは、産まれたままの姿となり清浄無垢の姿で神との交渉を行うためと言われています。新しい生命力を得て復活した姿を示したり、穢(けが)れを払ったりする意味が込められているため、裸まつりの多くは、大晦日や小正月、夏の祓(はらえ、はらい)の祭りなど、節目の時期に行われます。

代表的なのは、岡山県の西大寺会陽というはだか祭り。住職が投下する2本の宝木(しんぎ)をめぐって、裸の集団による激しい争奪戦が繰り広げられます。この宝木を取った者は、福男と呼ばれ、福が得られると言われています。

7.ねぶたとは?

海外で最も人気が高い日本のお祭りと言えば、「ねぶた」。これは本州最北端、青森県各地で行われる夏祭りで、人形型または扇型の張りぼてを載せた山車を引いて行われます。もともとは、鎮魂の意を込めた灯篭流しをルーツとしています。まず目につくのは、巨大な山車。歴史や神話をテーマにした勇壮な山車が夜空に浮かぶ様子は圧巻です

この祭りをさらに盛り上げるのが、跳人(ハネト)と言われる踊り手たち。華やかな衣装に身を包み、飛び跳ねるように踊ります。ねぶたは、北国の短い夏を喜び、エネルギーを爆発させる最高のステージなのです。

旅行者にとって何よりうれしいのが、衣装を着れば誰でもハネトとして参加できること。青森市や五所川原市では、レンタル衣装屋さんが出ているので、その日に行って参加することができます。心躍るお囃子に合わせ、地元の皆さんと一緒に踊ってみましょう!

8.花火とは?

日本の花火は「花の火」と書くように、その美しさ、華やかさ、そして儚さは独特です。その歴史は江戸時代(西暦1600年代)までさかのぼり、古くから庶民に親しまれています。美しさを楽しむものですが、神聖な火の力で、慰霊や鎮魂を行うという意が込められたものもあります。

日本の花火の特徴は、丸く広がること。大きく整然と開花し、美しく変化していきます。ダイナミックな演出が楽しめるのが、仕掛け花火。文字や絵を表すもの、富士山やナイアガラの滝を表すものなどが見られます。

そして、ハラハラドキドキするのは手筒花火。筒を手で脇に抱え空中に火の粉を噴出させ、最後は抱えられたまま破裂します。神事としての側面が強いと言われます。日本全国にある花火大会ですが、大曲の花火(秋田県)、隅田川花火大会(東京都)、長岡花火(新潟県)などが有名です。

9.綱引きとは?

綱引き(大綱引き)だってお祭りになります。これは、参加者が二手に分かれて、藁でできた長く太い綱を引く行事です。

元来、雨乞いのために行われていた儀式が原型になっており、縄は巨大な大蛇や龍を模しています。蛇は雨が降ると現れるため、水神の使いとして考えられてきたためです。 力比べとしての娯楽でもあり、村同士で競って地域の団結力を高める大切な行事。農村・漁村では、農作物と漁の豊凶を占う、五穀豊穣を願うなどの意義があり、また、交易都市では他の地域との交流を祝うものでありました。

有名なのは那覇大綱挽まつり。「米藁で製作された世界一の綱」としてギネスに認定登録。民俗伝統芸能パレードも見られ、参加して綱を引くこともできます。力を合わせ、大きな声を出して、一緒に楽しんでみませんか?

10.来訪神(らいほうしん)とは?

この写真、びっくりしますよね!これは秋田県の神様「なまはげ」です。大晦日の晩、集落の青年たちがこのお面をかぶってナマハゲに扮し、家々を回ります。

なまはげは、日本各地にいる来訪神の一つ。2018年、宮古島のパーントゥ、能登のアマメハギなどとともに、「来訪神 仮面・仮装の神々」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。

これらの来訪神は神様の使者であり、年に一度、正月などの節目に人間の世界に来訪するとされています。異形の姿で表現され、その仮面をかぶり仮装した者が、家や集落を訪れます。見た目は恐ろしいのですが、怠け者を戒めたり幸福をもたらしたりすると言われています。


祀り・祭り・奉り・政り

東大の臨床医矢作医師は「人は死なない」と主張します。

空海も「人は死なない」と言います。

・ 

日本人は古来「あま(あの世)」と「うつしよ(この世)」を想定し 二つの世界をつなぐ「ま」を大事にしてきました。

「ま」をつり合わせる「まつり」は神事として祀られてきました。

祀り・祭り・奉り・政りとは、感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)であると言われます。

祭のお囃子、太鼓や鈴の音。神輿や踊りや香り。

祭に預かるものは いつしか変性意識になり潜在意識とコンタクトする=神からの啓示=ご神託を受けとることになります。

「ま」つりを行えば「うつしよ」に居ながらにして「天」と交信できるともいえます。

「命」は「人が一を叩く」と私が解釈したことに対し、本来命という字は「令と口に分けられます。この口は祭器を表し、礼服をつけて 跪いて神の啓示を待つもの。ゆえに神の啓示を意味します。」との指摘を受けました。

然し「神の啓示を受け取れるもの」は「ひとつを体験できるもの」だと思うのですが如何でしょう?

「あま」と「うつしよ」の関係は キリスト教の直線的な時間感覚に類似しています。

あの世の中にこの世が内包され(これが五次元、形成磁場の概念なのでしょうか?)

永遠の中に今が内包されているともいえます。

永遠の象徴である「円」は 「直線」の集合であり、直線は 位置を示すことのみができる「点=0」の集合です。

永遠はゼロの集合でありそれは即ちゼロであることになります。

円は永遠の今を表していることなのでしょうか?


私はキリスト教の時間観は直線的と錯覚していたのでしょうか?

ヨベルの年、最後の審判の概念が時を直線に見せていましたが 円=ゼロであり無限であれば時は循環することになります。