源綱の鬼退治
http://www.photo-make.jp/hm_2_1/minamoto_wata.html 【嵯峨源氏 源宛みなもと あつるの子、源綱みなもと つなの鬼退治】より
●渡辺綱(953~1025年)通称は渡辺源次綱ともいう。
武蔵国の住人で武蔵権介だった嵯峨源氏・源仕の子として武蔵国足立郡箕田郷(現・埼玉県鴻巣市)に生まれる。摂津源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に居住し、渡辺綱(わたなべ の つな)と称し、渡辺氏の祖となる。
摂津源氏の源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭として剛勇で知られ、「大江山鬼退治」「一条戻り橋の鬼退治」「羅城門の鬼退治」などで知られる。大江山鬼退治で逃げた鬼が、羅城門に住み着き、退治に向かう渡辺綱が鬼の腕を切り落とす。羅城門ではなく京都堀川に架かる戻り橋(一条戻り橋)の設定の鬼退治もある。また、切り落とされた腕を取り返しに来る話もある。
http://shintohkan.blog95.fc2.com/?m&no=176 【鬼洋蝶】 より
鬼洋蝶(おにようちょう)とは長崎県平戸の凧で、迫力ある武者絵で有名です。この凧は5年ほど前に平戸のみやげ物やで購入しました。地元で有名な鬼洋蝶作家、水野尾心章氏の手によるものです。確か6000円のものを5000円に値切って買ってきたと思います。
絵の題材は、源頼光四天王の一人、渡辺綱「羅生門の鬼退治」の図で、何でも平戸藩主の松浦家が、渡辺綱の子孫であることからこの図柄になったようである。五島列島や壱岐にもよく似たデザインの凧があり、こちらはそれぞれバラモン凧とか鬼凧(おんだこ)と言われています。上部に弓が取り付けてあり、もともとは航海時、海上で風の方向や強弱を弓のうなりを用いて測ったものらしい。
ものの本によりますと東アジアから東南アジア一帯にかけて同じようなデザインの鬼の凧があるそうで、かつては東シナ海沿岸を暴れまわった松浦党の本拠地であった平戸に、海外からもたらされたものだろうとある。「羅生門の鬼退治」の図になったのは、平戸に入ってきてから、先の理由により変わったのだろう。
渡辺綱の兜にかぶりついているのが酒呑童子の舎弟茨木童子で、綱が振り上げている刀が源氏の名刀「髭切りの太刀」なのだろう。平戸のほとんどのみやげ物屋で鬼洋蝶は売っているが、水野尾心章氏の作品は数が少ない。その写実的な筆と繊細な色使いは、みやげ物の域を超えている。大切にしていきたいと思う。
髭切りの太刀、今は京都北野天満宮にある。
神刀流居合道ブログ担当 一文字
※鬼洋蝶とは、鬼を退治するという意味の「膺懲(ようちょう)」の当て字だそうです
http://gotomingei.web.fc2.com/yurai.html 【五島ばらもん凧の由来】 より
ばらもん凧とは五島の方言で、「ばらか」に由来し、「荒々しく向こう見ず」、「活発で元気がいい」と言う意味に用いられています。
日本列島の、西端に位置している五島列島の福江島に古くから作り伝えられたのが、このばらもん凧であります。
絵柄は鬼が真正面から兜をくわえこんだ姿で敵に後姿を見せぬ勇者の姿を表現しています。
このばらもん凧の特徴として絵柄の中にクルスの形があり、隠れキリシタンの島、あるいは八幡船の基地として、歴史をもつ五島であるだけにその特徴及び、出所は不明であるが興味深いものがあります。
男の子の初節句(旧3月3日)に我が子を思う親が作り、天高く揚げながら凧の上部に付けられた「うなり」で独特の唸声をだし、子供の厄を払い無事成長と立身出世、家内安全を祈願しました
現在では、子供の名前をデザインに加えて、インテリアに使われるなど縁起の良い魔除け凧として好評を博しております。
https://hon-yak.net/1-28/ 【巻一第二十八話 その気がないのに出家した酔っぱらいの話
巻一】より
巻1第28話 婆羅門依酔不意出家語 第廿八
今は昔、天竺に一人の婆羅門(バラモン、最上カーストである僧侶階級)がありました。酒に酔い、仏のいらっしゃる祇園精舎に行きました。酔っているため、本心を忘れ、思ってもいないことをしてしまいました。
仏に申し上げました。「出家します」仏は阿難に命じ、彼を出家させました。
婆羅門が酔いから覚めて、我が身を見ると、すでに髪を剃り、法衣を着ていました。おおいに驚いて、走り去りました。
御弟子は仏に問いました。「どうしてあの婆羅門は驚いて走り去ったのですか」
仏は答えました。「彼は無量劫(たどれないほどの昔、前世をふくむ)、一度も出家しようと考えることはなかった。しかし今、酒に酔って心を失っているために、出家して法衣を着た。酔いが覚めてから、驚いて走り去った。このことによって、悟りを成就するだろう」
仏は飲酒をいましめましたが(不飲酒戒)、この婆羅門は、酔ったために出家したので、酒をゆるしたのだと語り伝えられています。
https://1kara.tulip-k.jp/buddhastory/2017011585.html 【お釈迦様物語 仏教に飲酒を禁じる不飲酒戒(ふおんじゅかい)ができた訳】より
仏教には不飲酒戒(ふおんじゅかい)と言われる、お酒を飲んではいけないルールがあります。
殺生してはならないとか、嘘をついてはならないなどはわかりやすいですが、なぜお酒を飲んではいけないのでしょうか。
それにはこのようなエピソードがあるのです。
ボルネオ島の人々の、猩々(オランウータン)を捕らえる奇抜な方法があります。
アラックという強烈な酒を愛飲する彼らは、数滴その酒を落とした水ガメを猩々の巣の下に置きます。
間もなく猩々はそれを飲み干します。
翌日から少しずつ、酒の量を増やしていきます。
彼らは生まれつき大酒飲みではないのですが、これを繰り返すうちに知らず知らずに猩々は酒の味を覚え、好むようになっていくのです。
やがては生のアラックをもガブ飲みするようになります。
さすがにそのときは酔っ払い、石を投げたり木を折ったり、散々乱暴した揚げ句ゴロリと高鼾で寝てしまい、そこを難なく捕らえるという方法です。
飲んでいたつもりが、いつの間にか飲まれている。そこに酒の怖さがあるのです。
仏教に飲酒を禁じる不飲酒戒(ふおんじゅかい)ができた訳
不飲酒戒(ふおんじゅかい)ができたエピソード
お釈迦様ご在世のこと。インドの支提(しだい)国に獰猛な悪龍がいました。
盛んに暴れ回って、村民を痛めつけ、牛馬を荒らし、残忍の限りを尽くす。村民や家畜はもとより、鳥までが恐れて飛ばなくなったと評判でした。
お釈迦様に、莎伽陀(しゃがた)という弟子がいました。
村人の難儀を救わんと神通力を駆使して征服し、悪龍はついに仏弟子にまでなったのです。
国中に莎伽陀の雷名がとどろいたのは言うまでもありません。
ところがある時、信者から酒を馳走になり、ついつい莎伽陀(しゃがた)は飲みすぎました。
夜更けの帰途で道端に倒れ、汚物を吐くやら苦しむやらで、大醜態をさらしました。
直ちに弟子たちを一堂に集められたお釈迦様は、こう諭されています。
「皆の者、莎伽陀を見よ。彼はかの悪龍を征服したほどの智者ではあるが、酒に征服されてかくのごとき始末である。聖者ですら酒を飲んではかくのごとし。いわんや、凡人は厳に身を慎まねばならぬ。今後、酒を飲むことを禁ずる」
これが仏教に飲酒を禁じる不飲酒戒(ふおんじゅかい)が制定された動機であると伝えられています。
まとめ
普段どんな立派にしていても、清楚にしていても、泥酔してしまえば自らを律することはできずにおかしなことをしてしまいます。
道端に吐いたり公園のベンチで寝転ぶくらいならまだマシですが、時には暴力を振るったり人の土地に勝手に侵入するなどの犯罪を犯すこともあります。
「酒は飲んでも飲まれるな」と言われます。酒で道を誤らぬように。
https://sake-labo.com/c01-04-001.html 【日本酒の登場する神話・伝説】より
白兎海岸
神々の時代から伝わったとされており、神事に欠かせないものであった日本酒。そのためか、いろいろな伝説の中にも、お酒は登場してきます。遠い神話や、人々の間で語られる伝承・伝説の中に残る日本酒の姿をいくつかご紹介しましょう。
ヤマタノオロチとスサノオノミコト
ヤマタノオロチ
お酒の登場する日本神話のうち、おそらくもっとも有名なのが須佐能乎命(スサノオノミコト)による八岐大蛇(ヤマタノオロチ)討伐のお話ではないでしょうか。
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神々の国・高天原(タカマガハラ)を追われ出雲に降り立ったスサノオは、少女に取りすがって泣いている男女に出会います。
聞けば、ヤマタノオロチという恐ろしい怪物が一年に一度やってきて一人ずつ娘を食べていってしまう。いままで7人の娘が食べられてしまい、最後に残ったこの奇稲田姫(クシナダヒメ)も今年食べられてしまうだろう、とのこと。
そこでスサノオは、クシナダヒメを娶ることを条件にヤマタノオロチ退治を買って出ました。スサノオはクシナダヒメを櫛に変えて髪にさした後、八つの樽に強い酒を満たして待ちます。
やがて姿を現した恐ろしい八つ首の大蛇・ヤマタノオロチは、お酒を見つけると喜んで樽に頭を突っ込み、八つの頭でがぶ飲みして酩酊。眠り込んでいる隙に切り刻まれてしまいました。
そして、みごと約束を果たしたスサノオとクシナダヒメは結婚することになります。
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「邪を祓う」というお酒の特性をあらわすかのような神話ですね。
八つの頭に八本の尾、腹は真っ赤な血でただれ…、と、恐ろしい描写と共に現れるヤマタノオロチですが、お酒の誘惑には勝てなかったようで大蛇(うわばみ)らしい呑みっぷりであっさりつぶれてしまいます。
頭が八つあっても胴体はひとつだったようなので、急激なアルコール摂取に肝臓が対応できなかったのでしょうか。
ヤマタノオロチですらこうなのですから、我々人間も一気飲みなどの無理な飲み方は控えましょうね。
ちなみに、ここでスサノオが用意させる「八塩折酒(やしおりのさけ)」は、八回醸造を繰り返すいわゆる「貴醸酒」である、という説や、そもそも日本酒ではなくくだものを使用した果実酒である、という説など、諸説あるようです。
どれにせよヤマタノオロチも我慢できないような、甘い良い匂いの立ち昇るお酒だったのでしょうね。
酒造りの神様たち
鳥居
古事記や日本書紀などには、お酒造りにまつわる神様がたくさん登場してきます。
例えば、クシナダヒメの祖父に当たる大山祇神(オオヤマツミノカミ)、米を使って酒を醸したとはじめて明記された神吾田鹿葦津姫(カムアダカシツノヒメ)、酒造りを伝えたとされる少彦名神(スクナヒコナノカミ)、そしてスサノオノミコトの子である大国主命(オオクニヌシノミコト)などなど、あげていけばきりがありません。
それだけ、古代から神事とお酒のかかわりが深く、また「米と水が醸されて酒となる」という現象自体がまるで奇跡のように思われていたということなのでしょう。
現代でも全国各地にお酒の神様を祀った神社があり、お酒造りにかかわる人々の信仰を集めています。
献酒された日本酒
酒呑童子
人のみならず、神様も怪物も目がない日本酒。
妖怪たちの中にも、大好きなものたちがいるようです。
その中でも、直球ど真ん中な名前を持つのがこの酒呑童子(しゅてんどうじ)です。
鬼(もしくは盗賊)の頭領とされており、出生や育った経緯は諸説紛々。
一説では親に捨てられ諸国をさすらいながら悪事を働いていたため徐々に鬼と化したとされ、また別の説では絶世の美少年が彼に振られた女性の恨みで鬼になったとも言われています。
なかには、スサノオノミコトとの戦いに敗れたヤマタノオロチが人の姿をまとって落ち延び、人間の女性に産ませた子供である、なんて説も。
いずれにしても、最後は大江山にたどり着いて手下を率いて山賊行為を働くようになり、995年、時の帝に命じられた源頼光らにだまされ毒酒を飲まされて殺されてしまいます。(確かにヤマタノオロチと似ているかも…)
能や歌舞伎、映画、小説、さらにはゲームにアニメなど、波乱に富んだ人生(?)とキャラクター性からさまざまな作品に登場する(ある意味)人気者でもあります。
のた坊主 たぬき
こちらは同じ妖怪でもちょっとほっこりするようなエピソードを。
のた坊主は、もともとは古狸が坊主に化けたもので、特に際立った悪事を働くわけではありません。
ただ、新酒が出来上がるとどこからともなくやってきて、甕からお酒を勝手に飲み、やがて酔っ払うとのたのたと去ってゆく(なので「のた坊主」)、というなんとも気の抜ける妖怪です。ただ、せっかくの新酒を盗み飲みされる蔵元はたまったものではありません。
あるときついに捕まったのた坊主は、蔵人たちにぐるりと囲まれてしまいます。すっかり震え上がり、自分は近所のあなぐらに住んでいる狸で、そこには子狸が待っている、もう悪さはしないから見逃してくれと必死に謝る姿に、さすがにかわいそうになってきた蔵人たちが解放してやると、それ以来酒を盗みに来ることもなくなり、その蔵は今まで以上に繁盛するようになった、ということです。
とても妖怪狸とは思えない人間臭さと、ちゃんと恩返しをしてくる義理堅さがいい感じですね。
養老の滝
親に忠誠を尽くす「孝」の説話なのでてっきり中国故事だと思っていましたが、調べてみると出典は鎌倉時代に編纂された「古今著聞集」でした(説話集なので、本来の原典はわかりませんが)
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あるところに貧しい暮らしをおくる父子がいました。
父親はお酒が大好き。
息子は薪拾いの仕事をしながら父を養い、貧しい中から何とかやりくりをして父親のためのお酒を買っていましたが、いつも少量しか飲ませてあげられません。
欲のない息子は自分の欲しいものやしたいことはなく、ただただ「いつか父に満足できるだけのお酒を飲ませてあげたい」ということだけを願っていました。
ある日、息子がいつものように山に入って薪を拾っていると、ふいに甘い良い香りが漂ってきます。
なんだろうと思いながら周囲を見回すと、岩間から流れ出る小さな滝が香りを発しているようでした。
不思議に思った息子が水をなめてみると、なんと、その滝から流れ出ているのは水ではなくとても美味しいお酒だったのです。
息子は早速滝のお酒を汲んで持って帰り、ついに父親が満足するまでたっぷりと飲ませてあげることができたのでした。
この話が時の天皇の耳に届き、大変感じ入った天皇は元号を「養老」を変え、息子を美濃の守に任命されました。
こうして、父子は末永く幸せに暮らしたということです。
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現代人の感覚からすると、自分のことなど省みずに父に尽くす息子とか、養ってもらっているのに酒ばかりせびる父親とか、違和感を感じるポイントの多いお話ではありますが、当時日本で一般的だった忠孝思想からするとまっとうな美談とうつったようですね。
現在でも、岐阜県養老郡の養老公園内には同名の滝が存在しますが、残念ながら流れ落ちているのは普通の水です