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現代都市における境界概念の意味論的考察

2021.05.24 02:52

ちょっと原点に還ってみます。ゼミに所属して卒論を書きました。まあ、いわゆる工学部ではない論文ですが、このなんとも言えない世界をゼミではあたたかく?わずらわしく?受け止めていただき、「学会発表もせぃ!」「は?」ということで、発表したものです。当時は工学部では院に行くのが多かったので、まあ研究がおもしろくなってきたし、修士ぐらいはでるかといった気持ちで院におりましたので。

近藤隆二郎・盛岡通・末石冨太郎(1989): 現代都市における境界概念の意味論的考察,環境システム研究 Vol.17, 12-­17.

全文pdfはこちらからdlできます。

卒論はなんと「手書き」でした。なのでデータはありません。本体もどこいったかなあ。もう無いかも。なので、提出前には先輩後輩が執筆を手伝うという恒例もありました。手書きだから、切ったりはったり騒がしいゼミ室でしたね。そういえば、ゼミ室で自身の机をあてがわれたので、もう授業バイト以外はそこにいる感じでした。先輩後輩などと三食一緒にしたり徹夜したり、夜中にラーメンいったり天五の鰻にいったり、、、。コンロもあって自炊も可能で、なぜか「ちゃーめん」という段ボールいっぱいの乾麺があり(いつの期限かわからず)、どうにも食べるものがあるとそれを意を決して食べるという。。。布団もありました。

で、この卒論ですが、末石先生が環境意味論というものもしていて、環境学における意味論というものを追ったものでもありました。かな。今から思えば。当時はポジションを理解していませんでしたが、お化けや妖怪、負の空間といったものに関心があって、なぜそれが都市には存在するのかという点から考察しました。歌舞伎町に夜通しいたり、ヌード劇場などにも行って観察したりしていました。

どうにも民俗学的になりがちな部分を工学的なものとつなぎとめたのが、「図」でした。鬼の研究をされていた小松和彦先生著作等から、構造主義を学び、伝説などを図解して解くということを吸い出し、それを適用していきました。なので、悪所や妖怪をあつかっているにもかかわらず、図がやたら出てきます。

「図」によって、理系と文系をつないだ、ともいえちゃうかなあ。安易だけれども。ただ、工学の計画としては、文系的要素をどうもりこむかのひとつに、「図」は有効でもあったような気がします。「図」によって省略されるものもあるのですが。←これは20年後ぐらいの論文で批判しています。

また、「システム」というものにも取り組むことになります。