「溝」…水を“かぶり”神の恵みを得る
2007_0627
「溝」…水を“かぶり”神の恵みを得る
写真:モエンジョ・ダロ遺跡
私たちは、台所や風呂の排水がどこに流れ去るのかを知っているだろうか。本来、私たちはホモ・ディスポーザル(捨てる人)なのだが、都市サービスの発達がそのことを見えにくくしている。とはいえ、下水道の整備はそれほど古いものではない。明治期の国家衛生という方針から整備がすすめられてきたものである。
では、古代の暮らしではどうだったのであろう。インダス文明のモエンジョ・ダロ遺跡の排水施設について調査したことがある。紀元前三千年の都市にもかかわらず、なぜ排水施設が高度に発達していたのか。その疑問から環境工学関係の専門家チームで現地調査を実施した結果、それまでの説をくつがえすデータも出てきた。測量した排水溝は、汚物を排出する能力には乏しかった。また、沐浴場と排水溝、井戸の関係を調べると、必ずしもネットワークが精緻につながっているわけでもないことがわかった。
氾濫農耕に立脚していたインダス都市では、インダス川の氾濫によって農地は肥沃になり、結果として都市文明を成立させていた。しかし、まれな大氾濫では都市そのものが埋まるという事態にも陥った。インダス川は“恵みの神”であると同時に“恐るべき神”という表裏の意味があった。都市の民は、洪水といった自然への畏怖には信仰という意味付けを求めていたに違いない。そこで、沐浴と排水施設、氾濫農耕の関係を大胆につなげてみる。
氾濫とは、いわば大地が水を“かぶる”ことで恵みを得ることである。そして、沐浴とは人間が水を“かぶる”ことである。この場合の沐浴とは、水によって身体の汚れを落とすという感覚ではなく、水を“かぶる”ことで神の恵みを得ようとしたに違いない。この感覚は流し去るゆくえへの意識にもつながる。恵みは水が通った後に与えられる。つまり、恵みを得るために排水施設が都市全体に整備されたとは考えられないだろうか。排水溝に水を流せば、都市全体が水を“かぶる”ことになる。擬似的な氾濫を演出していたのかもしれない。
モエンジョ・ダロの排水施設は、何かを流し去るというよりも、都市そのものが水を“かぶる”ためのものであった。排水施設は宗教施設であり、水を流すことで、くらしのリズムと氾濫のリズムをつなぐ装置であった。インダス河の持つ大きなリズムと共鳴し合うようにして人びとは生活していた。そこには、自然を抑え込もうとする感覚は無い。身体を通じ、都市を通じて、大きな自然に寄り添いながら暮らす姿を想像することができる。
日本にも“禊ぎ”や“滝行”という概念がある。私も滝に打たれたことがあるが、圧倒的な水の力と身体を芯からしっかりと立たせる中での無心の時間であった。山から湧き出た水滴が流れになって川になり、そして滝になる。その滝に打たれ、身体を通った水はさらに大きな川になって海にまで流れ去る。身体が自然のリズムとともにあることを再発見させてくれた。