KAYOKOヒストリー邪気抜きメソッド開発秘話①
2021.05.27 01:28
KAYOKOです
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ではわたしが、邪気抜き魔除け開運美容に行き着くまでのわたしのヒストリーをちょっと話していきます^ ^
0歳〜自営業の優しい両親の元で育つ。強いメンタルはここから生まれた
1969年東京浅草生まれの江戸っ子。
商売繁盛の神社のすぐに近くで生まれ
そこで名前をつけてもらったから
格数がめちゃくちゃ良い。
なので結婚しても氏名を変えず。
父親からは商売繁盛の活気や、縁起などの"気"について仕込まれながら育つ。
とにかく"活気"という"気"とても大事にしている。
昔から開運や、運についてや縁起が良いことが自分も大好き。
江戸っ子はとにかく祭りや活気が大好きなの。
わたしの周りの江戸っ子たちも
商売繁盛に対してめちゃくちゃ意識使ってます〜
父親がわたしを乗せてあちこちに仕事やら会合にも連れて行っていたので
早くから商売繁盛、商売についてみてきたわたし。
わたしもよく両親を手伝っていたりしたな。
このオルゴールたちを作っていたの~
そんな父親が!?
*過保護なくらいわたしを甘やかし
どこにいくにも送り迎えをしてくれていた
大好きな父親がなんと16歳のときに急死。まだ父親51歳。
いまのわたしより若いって事よね💦
わたしも悲しさはもちろん、
いきなりだったから茫然となるし、とにかく泣いた。
あまりにあっけなくだったから
何が起こったかがわからないくらい。
しかしそれよりも衝撃は"生活レベルが一気に下がり変わった事‼️
"私たちが小さな頃は高度成長期にかかりかなり景気が良かったのだそう。
あの頃のわりになんでも最新電化製品などがあったし
毎週土曜日や日曜日は
家族でお出かけして高級外食へ。
食卓にも何品も料理が並ぶ。
しかし父親の急死のあとは
そんな生活レベルが一気に変わった。
お父さん任せでいたからわからないことだらけだという。お父さん命!の母親は毎日仏壇の前で泣いていたばかり。
そんな母親を見て母親を守るのはわたししかない
泣いている母親を見る方が辛かった。
しかし母親は専業主婦だったため当時のわたしはこう思う~
"専業主婦って怖いわあー"
わたしは絶対に専業主婦にはなりたくないと思った。
とくに昭和初期の両親。夫に嫁ぎ、すべて夫のサポート。
その父親がいなくなったあとは幸いわたしも高校生でまだ物心がわかる年齢になっていたからまだよかった。
だけどわたしはこう思う
絶対にわたしは、夫に頼るだけは怖いわ。
結婚しても絶対に専業主婦にはなりたくない。
わたし自身がお金持ちになろう!と決めた。
あっという間に父親が
亡くなってしまいなんにも父親には
親孝行をしてあげられていなかったことに、
ものすごく悔んで
お母さんには、どんなに手がかかってもいいから長生きして欲しい!と
心から空に向かって願った~
この頃から実家の空を見上げて
空に向かっていろいろ話していた。
※だから現在では介護などで、手がかかるけれど
親孝行をしてあげられてやってあげられることや長生きをしてくれていることが
心からの安堵感の幸せ。
他人に委ねるだけでなく
自分でしっかり関われる事がありがたい。
まずここが1番のいまのわたしを作ったキッカケ。
途中いろんなことをくじけなかったのは
このときの母親を守りたい気持ちがわたしの強いメンタルを作った理由。
〜人は守りたいとか、幸せにしたい人がいると強くなれる〜
高校二年生、三年生のころは
バブル期に入ってきて
時代は、マハラジャとか、キングアンドクイーンなどディスコブーム黄金期。
このころから銀座などに繰り出しお金持ち、お金の流れが集まるところで人脈作りながらお金持ち研究していた。
👑18歳〜美容業界に入ったキッカケ
美容業界へのキッカケはわたしは
小さなころから
コンプレックスだった
超一重まぶたのおかげで
顔にコンプレックスと執着で
中学2年のころにはアイプチにフルメイクして学校に通っていたくらい~
いまとなっちゃ違う意味で可愛く見えてくるけどね笑笑
いつか、絶対お金がたくさん溜まったら美容整形をしたい!!と思っていて
また高校でもメイクや💄オシャレを、していたら
よく今考えるとよく怒られずに
それどころかとても可愛がってくれて
気にかけてくれていた
おじいちゃん担任の高校の恩師より
おまえは、"海外の化粧品メーカー"が
ぴったりだぞ?
化粧品会社は、デパートの裏口に
たくさん男が車で並ぶほど
モテるし楽しめるし
自由奔放だし、華やかなのが好きだから
日本の国産の化粧品会社はおまえには合わないが
外資系がぴったりだぞ!と。
で、当時バブル期でボーナスが6.3ヶ月という1番化粧品会社で良かったこちらに入社。
元祖スーパーモデルを世に出していた海外コスメブランドの美容部員に。
いま見ても素敵よね!当時のスーパーモデルさんたち!ナオミキャンベルもいるね!アラフィフ以上の人ならわかるよね🥰
当時バブル時代は外資系コスメブランドが大ブームで、化粧品コスメカウンターなど、とっても女性の憧れの場所で人気の仕事だったのよね!
そーいえば、最近YouTubeとかでも美容部員とか流行ってきてるよね
ほんとたくさん刺激や経験ができてワクワクしてた!
黒人用メイク、白人用メイク、アジアンメイク、オリエンタルメイクなどさまざな人種や、
個性それぞれの魅力を引き出す技術や知識や経験を身につけられ自信をつけられまして
超一重瞼で顔面コンプレックスで
中学生からフルメイクしていたわたしは
もうほんといろいろなメイクをできたのはラッキーだった!
だけどね、最初新人のころはこれまた、半端じゃなく厳しくて🤣🤣🤣🤣🤣
今じゃ絶対にこれパワハラだよね〜というほど新人時代は叩かれまくったわ!
どれくらい厳しいか?というと
毎日所作、話し方、立ち方、振る舞い、敬語やリアクション、お辞儀の角度、発声、すべてにおいてつねにチェック!
毎日仕事が、終わったあとに魔のミーティングで、8人くらいの先輩たちに囲まれ
今日一日のダメ出しと、説教を喰らう日々
~同期が68人くらいいたけど
初年度でどんどんどんどん同期はやめていきわずか
1桁のなん人か?
になっていった続く→