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「沐」…自然に直接に触れ「癒やす」

2021.05.24 09:50

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「沐」…自然に直接に触れ「癒やす」

写真:四天王寺西門の落日


 「沐浴」とは、単に宗教的な水浴だけを指すのではない。森林浴や海水浴、日光浴や砂浴といった行為も含むことができる。つまり、道具器具等を媒介させることなく、身体に水や光といった自然要素を直接接触させる行為を「沐浴」としてみよう。身体の治療を病院施設にゆだねる以前は、これらの自然が医者-「母なる自然」-であった。家が自然に対してシェルターと化して以来、自然と身体との一体的な関係は希薄化し、代わって自然観察といった具体的な対象としての関係が深まっていった。

 風呂に代表される熱湯浴とともに森林浴や海水浴などの沐浴空間をつないで整理することで、都市における沐浴空間を増加させてみてはどうだろうか。沐浴空間は、人が自然に包み込まれ、抱かれる空間であり、「癒し」の空間でもある。公園数や緑被率等の数値だけで自然要素を評価するのではなく、太陽や月の眺望や風の道、森林浴の場などを評価していくことが、身体と自然とがどのようにつきあうのかという関係性に厚みを与えてくれるものと思われる。

 大阪市の中央に位置する上町台地は、中世から近世にかけて太陽、とくに夕陽を見る(日想観)聖地であった。日想観とは、天王寺の西門は極楽浄土の東門と向かい合っているという信仰から来たもので、人びとは西門付近に集まり、沈む夕日を拝んだという。浄土信仰の霊地として賑わったと共に、四季の花見を兼ねた寺社巡りや月見、夕涼みなど大坂町人の奥座敷的な行楽地となり、上方文化の故郷ともなった。また、天王寺七坂が崖下と通じ、天王寺七名水の多くも集まる景勝地で名所旧跡も多い。四天王寺西門の浄土信仰とは、日本人が古来から抱いていたカミとしての太陽を崇拝し、同時に冬至・夏至、春分・秋分と結び付いた自然のリズムを認識し、その祭祀を通じて宇宙観や生命観を見いだしていたのだろう。

 このような「夕陽-日想観」を軸とした沐浴空間の再生を『九輪の台地』と名付けて構想した。『太陽への巡礼』は、台地上に夕陽を見ることのできる視点場を九ポイント設置し、それをつなぐコースを巡り、日想観の聖地を再認識する仕掛けである。また、夕陽を浴びる最重要な日として『彼岸の中日』を設定した。四天王寺西門の石鳥居の中心に夕陽が落ち、「太陽の道」が現出する時空間である。春分の日と秋分の日という、年2回かつ天候に恵まれないと見ることのできない情景である。私が最初にこの情景を目にしたときには、鳥居の真ん中に陽が落ちていくその姿に、まさに身体がふるえるような感動で、感涙の向こうに彼岸を感じることができた。この構想は、実際にまち巡りイベントとして企画して数回実施し、多くの方に夕陽を浴びていただいた。

 多様な沐浴空間が組み込まれている都市を「沐浴都市」と呼びたい。太陽や風は幸運にもどこでもあるものであり、仕掛けによってはあなたのまちも自然を身体で浴びることができる場になるのだ。