田中くん
田中くん
小学校6年生の時に同じクラスだった
もしかしたら5年生も同じクラスだったのかもしれない
田中くんはまわりの男子と少し違ったように思っていた
背は学年で一番大きかった
色白だった
大抵ひとりで座っていた
勉強はあまり出来てなかったように覚えている(わたしもだけど)
足も遅いし、球技もうまく出来なかった(わたしもだけど)
黒板をノートに写すのも遅くて、休み時間になっても写していたし
給食も食べるのが遅くていつも残って食べていた
話すこともゆっくりで、学校ではあまり話さない人だった
3学期
席替えでわたしは田中くんの隣になった
(何か、いやだなあ)と内心思っていて、けどそれを口にはしてはいけないのだと黙っていた
授業で隣の人とペアになり
何かを一緒に見たり、考えたり、発表したりするのに
足手まといだ と思ったんだ
恥ずかしい と思ったんだ
そんな風に思っていたのはわたしだけではなくて
クラスの多くは同じように思っていたと思う
多分
まだ田中くんが隣の席にいたある図工の授業
木の箱のオルゴールの工作で 蓋に彫刻刀で好きな絵を掘っていた
大抵は花とかハートとかアニメキャラクターや覚えたてのローマ字なんかを掘っていた
わたしは今でもその時に自分が一体何を掘ったのかが思い出せない
当たり障りのないものだっただろうな
それで飽きて後ろの席の子と話しをしていた
わたしたちの席を通りがかった男子が
「え!!!た、田中くんのオルゴール、、、田中くんが作ってる?」
と言った
まわりのみんなが田中くんの席に来て、彫刻を見ている
くるりと振り返ってわたしも見てみた
わ!!!!
と思わず言ってしまったのを覚えている
端から端まで細やかな幾何学的な模様をしていて
彫りの深さの強弱がはっきりしていて陰影が美しかった
幼くて美術的なことなんか全く理解できなくても
それが12歳のレベルを遥かに超えた作品なのはみんな分かった
だから男子が ” 本人が作ったのか ” が分からなかったんだ
みんな本当に驚いていて、先生までもが目を丸くしていた
全員が田中くんの彫刻に感動している
田中くんはみんなが集まってわーわー騒ごうが肩を叩こうが手を留めずに
ただ淡々と彫刻刀を動かしていた
今思えばまわりの事に気が付いてもいなかったかもしれない
静かに模様を掘り続けていた
図工の授業が終わったら給食
田中くんはまたゆっくり食べていた
お昼休みになってもまだ食べ終えていない
いつもの通り
男子数名が「田中、食べ終わるの待っとくけ、ダイゲンしようや」と誘っていた
田中くんは「うん!」と言って笑ったんだ
初めて田中くんが嬉しそうに笑ったのを見た
残りを急いで食べて昼休みにクラスの男子みんなとダイゲンして遊んでいる
わたしはそれをずっと見ていた
ずっと、見ておきたかった
(だいげんは山口県の子供の間で流行ったボール遊びのようです、全国じゃなかったことに驚き)
それから毎日、みんなと遊んだり絵を描いてと言われて描いてみんなを驚かせたりしていた
黒板を写したノートは字も線もとても正確にとても丁寧に書いていた
体育は得意でなくても消して投げやりにならず、ビリでもいつも最後までやり通した
その彫刻以降、クラス内の位置関係やグループといった概念が薄まっていったように感じていた
勉強が出来る子、スポーツ万能な子が何となく有利になっていたけど
そういうレッテルの様なものがわたしのクラス内ではなくなっていった
卒業の時
親も教室の後ろに並んでのクラス会で男子が田中くんの話をした
「お昼休みに田中くんとだいげんをしてすごく楽しかったのが思い出です」
田中くんは照れくさそうに笑っていて下を向いた
どこかの母親が突然泣き出した
ハンカチで何度も涙を拭いていた
クラス会が終わった後、そのどこかの母親と先生が話をしていた
そのお母さんはお礼を言っている
隣には田中くんが立っていた
わたしの12歳の時のクラスの話です
それから今までもこの事を忘れたことはないし、
とても大切で
大切にしている思い出のひとつです
この頃の自分のつまらないものさしや固定概念が浮き彫りになって恥ずかしくも感じますが
この事に巡り合わせてくれてありがとう_
この事を見逃さないように隣の席にしてくれてありがとう_
と、何度となく思っています
田中くんに
田中くんの手から生まれたモノに再び会える日を_