オムレツ、猛特訓中!
ウィリアムはルイスに甘い。
それは同志の中では改めて知らしめるまでもない周知の事実であり、アルバートも含めてモリアーティ家の長男と次男は末弟にとても過保護だ。
そうでなければ伯爵家の人間において、紳士として婦人の相手をする機会なく生きていけるはずがない。
年頃を迎え成人となったルイスも己に甘い兄達を知ってはいるが、生まれたときからウィリアムはそうだったのだからあまり気にかけてはいなかった。
兄とはそういうものなのだと、ルイスはそう理解しているからだ。
実際はウィリアムが特殊なのだがアルバートもそれには気付かず彼を参考に兄になったし、ウィリアムと性質が似ている兄がもう一人増えたことでルイスの認識はますます強くなってしまった。
兄とは無条件に弟に甘く、全てを肯定してくれる優しい人。
そんな人のことをルイスが受け入れないはずもなく、モリアーティ家の末弟は二人の兄の存在を無条件で肯定したいと思っている。
けれどルイスはある分野においてだけ、ウィリアムのことを肯定どころか信用すらもしていなかった。
信用がない原因は、モリアーティ三兄弟がロックウェル伯爵家に身を寄せている間にあった出来事がきっかけである。
「い、いかがでしょうか」
とん、と兄達の目の前に置いたのは、つい今しがたルイスが作ったオムレツの乗った皿である。
ロックウェル家が契約を交わしている業者から届いた新鮮な卵を使用した黄色いオムレツ。
作りたてのそれからは淡く白い湯気が立ち上っており、ウィリアムとアルバートは緋と翠の瞳を期待に染めた。
「ふふ、まだ食べてないよ」
「ではいただこうか」
「は、はい」
洗練された動作でナイフとフォークを手に取り、ルイスがじっと見つめる中で二人はオムレツを口に運んだ。
今日はロックウェル家で執務を学ぶルイスによる、彼お手製の料理の試食会である。
いずれモリアーティ家の執務全てを執り仕切るつもりでいるルイスは日々の勉学に加え、ハウスキーピングから炊事洗濯に至るまで屋敷の管理方法について学んでいる最中だ。
かつて下働きしていた頃よりも格段に仕事量は多く、その分だけ責任も大きい業務の数々を覚えるのは中々大変で、けれど計画の都合上はハウスメイドを雇うわけにもいかない。
つまりルイス一人で屋敷丸ごと管理しなければならず、その一つには食事の用意も含まれていた。
慣れない仕事をこなすのは大変だが、目に見えてウィリアムとアルバートの役に立てるのだからルイスは張り切っている。
物覚えと要領の良いルイスの仕事ぶりはとても丁寧かつ完璧で、先日は綺麗好きのアルバートにも掃除の仕上がりについて褒めてもらった。
それに続いて今日は料理の出来を見てもらおうと、ジャックがアルバートに打診したのだ。
今まで調理の補助しかさせていないけれど、手際はとても良いのだから問題ないだろうとの判断を貰っている。
そうしてルイスは緊張しながらも張り切ってオムレツを二つ作ってみせた。
の、だが。
「うん、美味しいね」
「…そうだろうか」
「…!!」
ウィリアムはにっこりとした笑みを見せてはオムレツを褒め、アルバートは申し訳なさそうな顔をしながらもはっきり不出来を伝えてみせる。
特別に自信があったわけではないが、それでも己が作ったものを認められないというのは衝撃が強い。
今までのルイスならばウィリアムにさえ認められれば良いと考えていた。
けれど今後はアルバートとも生きていくことになるのだし、何より彼はルイスの大事な兄なのだ。
彼に認められないのならば自分に価値はない。
価値あるものになるためには自分で努力するしか道はないのだ。
ルイスがショックを受けたのも一瞬で、無礼を承知でウィリアムのカトラリーを拝借してオムレツのかけらを口にした。
「…味がしない」
「そうだね。素材の味は生きているのかもしれないが、これではオムレツというよりも卵を焼いただけのものになってしまっている」
「すみません、兄様…口直しに紅茶とお菓子をお持ちします。残りは僕が片付けますので」
「いや大丈夫だよ。作ってくれてありがとう、ルイス」
「味、しないでしょうか?」
美味しいと思いますが、と言いながらルイスからカトラリーを奪い、ウィリアムは美味しそうにオムレツもどきを頬張っている。
まずくはないが美味しくもない。
孤児院で過ごしていた頃にも調理の手伝いをしていたけれど、それは食材を切ったり煮詰める鍋を見ていただけで、具体的に味つけに関与することはなかった。
見よう見まねで味を付けてみたこともあるが、調味料の類は高価だったのであまり潤沢に使うことも出来なかったために、感覚がよく分からないのだ。
孤児であったウィリアムはともかく、生まれ落ちたときから上等な食事をしていたアルバートの口に合わないのも無理はないだろう。
落ち込んだルイスを慮り、アルバートは食器ごと下げようとするその手を止めて黙々とオムレツを口に運んでいく。
「に、兄様」
「ご馳走さま。次は期待しているよ」
「ご馳走さま、ルイス」
「…ありがとうございます、お二人とも」
あまり美味しくなかったはずなのに全て食べてくれた兄達を見て、ルイスは申し訳ない気持ち以上に嬉しかった。
口に合わないものなどその場で捨てる貴族を多く見てきただけに、優しく気遣ってくれるアルバートの気持ちがとても嬉しい。
美味しいと言ってくれたウィリアムの気持ちも有り難くて、ルイスは二人のためにもっと頑張ろうと決意を固めたのだ。
そうしてルイスは料理長に頼み込んでは特訓を重ね、その都度ウィリアムとアルバートに試食を頼む日々が続いた。
「うん、美味しいね」
「以前よりは良いね。ただ、スパイスが効きすぎていて味がまとまっていないかな」
「うん、美味しいね」
「悪くはないよ。けれど火を通しすぎてしまっているね、口当たりがいまいちだ」
「うん、美味しいね」
「まずまずだ。もう少し塩気がある方がよりベストだね」
「うん、美味しいね」
「あぁ、見た目はとても食欲をそそる。あとは卵の風味を活かせると尚良いだろうね」
連日のオムレツ試食会にも嫌な顔一つせず、ウィリアムとアルバートは快く試食と称してはルイスの料理の腕前について評価していく。
そんな中でルイスが気付いたことは二つある。
一つは、アルバートの味覚はとても頼りになるということだ。
幼い頃から鍛えられたであろう味覚は確かなもので、味見をしてはいるけれど美味しいのかどうなのか感覚が麻痺してしまったルイスでは気付けないアドバイスを的確に与えてくれる。
アドバイスを頭に入れてからウィリアムに用意したオムレツを少々摘んでみれば確かにその通りで、スパイスの刺激が強すぎたり火を通しすぎて硬くなってしまっていたり、何故自分で気付けなかったんだろうと思う失敗ばかりだ。
初めの頃よりグッと上達しているけれど、まだまだ改良の余地がある。
何よりアルバートの評価は必ずルイスの努力を汲んでくれていて、必ず完食してはご馳走さまを言ってくれるのだ。
それだけでルイスのやる気はぐんと上がり、アルバートの口に合う料理を作ろうと頑張りたくなってくる。
「美味しかったよ、ルイス」
「……」
試食会を始めて気付いたことのもう一つは、ウィリアムの評価は往々にして当てにならないということだった。
にっこりと笑って言うウィリアムの表情に曇りはなく、心からそう思い言葉を贈ってくれていることがよく分かる。
偽りのないその笑みがルイスはだいすきだけれど、アルバートのアドバイスは間違いなく的確なのだ。
自分ではちゃんとした評価が下せないオムレツは確かに味がいまいちで、つまりはあまり美味しくない。
それなのにウィリアムは美味しいと言ってくれる。
ルイスを気遣っての言葉かと思っていたが、どうやらそれは違うようなのだ。
以前オムレツの練習をするルイスに付き合ってくれたとき、どうすれば良いのか悩んでいる最中にオムレツを焦がしてしまったことがあった。
明らかな失敗作なのにウィリアムは気にせず美味しいと言って食べてくれて、そんなはずないのに、と萎縮してしまうルイスの髪を撫でては繰り返すように「美味しいよ、ルイス」と伝えてくれた。
ウィリアムは元々大して食に興味がないのだろう。
けれど一定の好みはあるはずで、料理長が用意してくれる食事は残さず食べているけれど、明らかに食の進んでいないメニューや味付けがあることをルイスは知っている。
それなのに、オムレツに限らずルイスが作るものだけは食が進まないということもなく、必ず美味しそうに完食しているのだ。
ルイスが作るものだから、という理由で食が進んでくれているのならとても嬉しい。
だが本当にそういう理由であるならば、ルイスはあまり喜んでもいられなかった。
「兄さんの美味しいはあまり当てにならないです」
「えっ」
二人のために美味しい料理を作りたいのに、何を作っても美味しいと食べられてしまっては意味がない。
頑張るルイスは贔屓ではなく、間違いのない正当な評価が欲しいのだから。
「兄さん、焦げたオムレツでも美味しいって言うから…」
「ルイス、それは」
本当に美味しいと思ったからそう言ったんだよ、そんなに焦げてもいなかったじゃないか、とフォローしてくれるが、ルイス自身でさえ美味しくないと思うものを美味しいと言うウィリアムなどもはや信用ならない。
ルイスはこのとき初めて、ウィリアムは自分に対してとても評価が甘いのだと気が付いてしまった。
全てを受け止め肯定してくれる兄は、ゆえに盲目で正しい評価が下せないという弊害があるらしい。
その点、アルバートはその辺りの線引きが上手いのだろう。
いつかウィリアムに心から美味しいと言わせてみたいけれど、そのためにはウィリアムの評価よりもアルバートの評価に従って腕を磨く方が正しい道のりだ。
慌てたようにあれこれと声をかけてくるウィリアムから隠れるように、ルイスはアルバートのそばに行っては服の袖を控えめにつまんで軽く見上げる。
「兄様の感想はとても参考になります。美味しいご飯を作れるように頑張りますね」
「…あぁ、頑張っておいで、ルイス」
ショックを受けたように目を見開くウィリアムと、敬意が見て取れるきらきらした瞳を見せるルイスの二人を視界に収め、アルバートは堪えきれずに笑いながら弟達の髪を撫でた。
(おい…どうしたんだよ、ウィリアム)
(…ルイスに頼りにならないと言われてしまって)
(何でだ?)
(ルイスが料理の練習をしているんだけど、僕は何を作っても美味しいと言うから当てにならないって…アルバート兄さんの方が頼りになるって言ってた…)
(ふーん…でもお前、妙に嬉しそうだな)
(分かるかい?モラン)
(そりゃまぁ、何となく)
(ルイスがアルバート兄さんと仲良くしているのはとても嬉しいからね。ルイスの拠り所が増えるのは良いことだし、それがアルバート兄さんなら願ってもないことだよ)
(そういうもんなのか)
(あぁ。いつかモランにもルイスの支えになってもらえると良いんだけれど)
(勘弁しろよ、あんな愛想のないガキ)
(ふふ。頼りにしてるよ、モラン)