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ジゼルとエステル

死んだ友達の話

2021.05.26 03:06

先日、ある編集さんとの打ち合わせで「死」の話になった。亡くなる人というのは世の中どうしても出てくるが、その中でも自ら命を絶ってしまう人の話だ。仕事も、家族や友人との関係も良好、いつも明るく悩みなどないような人が、ある日突然なんの前触れもなく自殺してしまい、周囲には全く原因がわからない。そういうようなことがあるそうだ。残された家族や友人は、自分たちでは助けられなかったのか、相談できる対象と思ってもらえなかったのかと悔やみ続けるという。伝説のビブリオフィリアであり、自身も美しい文章を書き、しかしその自殺により名を残してしまった二階堂奥歯や、死にたがり、いわゆる希死念慮についての話もした。どこかで「呼吸がしづらいと希死念慮が強くなる傾向がある」という話を聞いたことがあり、耳鼻咽喉科などで呼吸を改善すると急激に生きやすくなったりすることもあるそうだ。こういう話をすると不安がられそうなのでついでに書いておくと、自分自身に関しては「死にたい」などと思ったことは、これまでの生涯ただの一度もない。いつでも不老不死や永遠の命が欲しいと思って生に執着して生きている。幸せな人間である。


今年で40歳になるが、同級生で死んだやつ、というのは聞いた限りでは2人しかいない。これは少ない方だろうか。より正確に数えると3人で、いちばん若い話だと、同じ小学校に通っていた女の子が中学にあがったばかりの頃に亡くなってしまった。もともと難病をかかえており、闘病しながら登校していたのだった。ほっそりとした可愛い子で、同じクラスになったことはなかったが、あんな若さで亡くなってしまうのは可哀想としか言いようがなかった。


中学一年生のときの同級生で、同じ陸上部だったAが、大学生のときに亡くなった。バイクに乗っている際の事故だったが、きちんと赤信号で停車している時に後ろから車が突っ込んできて、本人には一切非がなく避けようもなかったという。Aは陽気な調子のいい男で、人気者で友達も多かった。部活を通じていろいろ遊んだものだが、特に覚えているのは映画にまつわるエピソードだ。Aがなぜか、真田広之主演の『ヒーローインタビュー』という映画を非常に観に行きたがったことがあり、けれどもまわりの友人が誰一人興味を示さずに、最終的に僕と二人で映画館に観に行った。映画館はほぼ満杯で一人分の席しかなく、Aに席を譲り、僕は二時間近くを立ち見した。まだ立ち見のできる時代だった。映画の内容はほとんど覚えていない(ごく普通のラブロマンスだったように思う)のだが、そのキャッチコピーが「最愛の人と観に来てください」というようなものだったので、後日「あいつらホモじゃねえか」とのからかいを周囲から受けた。拙作『友達だなんて思ってないんだ』からは、そういったAとの思い出の痕跡を探すことができる。


もう一人亡くなったのは、Yという同級生で、これは小学生の頃に仲が良かった。Yはハーフで、詳しく聞いたか忘れたが、お母上の姿から思い出すに、たぶん北欧の方の血が流れていたのではないか。端正な美少年で、白く美しい肌をしており、どこに行っても人の目を惹いた。サッカーの応援か何かで他の小学校を訪れたときなど、そこの女子から即座にしたためたラブレターを貰ったりしていたのだが、返事を書くのかどうするんだと本人を問い詰めると「ああ、読まずに捨てたよ」と事もなげに言い捨てた。そういう女子からのアプローチは日常茶飯事だったようで、淡白な反応しかしなかった。それよりもYが好きだったのは当時流行っていた格闘ゲームで、ゲームセンターによく通っていたのを思い出す。小遣いが少額だった僕は「ワンコイン100円」などというコスパの悪い遊戯などはとてもプレイできず、もっぱら友達が遊んでいるのを後ろから眺めているだけだったが、その中でもYは圧倒的に格ゲーが上手く、ワンコインでゲームをクリアするのも何度も見ていた。あるとき『餓狼伝説SPECIAL』のクラウザーの超必殺技「カイザーウェーブ」のコマンドをレクチャーしてくれて、「健也は頭がいいんだから、格ゲーやったらすぐ強くなるよ」と褒めてくれたことがあった。うれしくて調子にのり、その後こっそりとひとりでプレイしてカイザーウェーブ(←タメ↗+AC)のコマンドを試してみたことがあったが、思ったように発動せず、また発動してもそれだけの連発で勝てるほど甘くはなく、あっというまに数百円を溶かしてしまった。僕は以後、格闘ゲームは一切プレイしていない。


中学にあがってからはYとは疎遠になってしまった。クラスが同じにならなかったし、お互いに他にもっと親しい友達ができたし、Yはすこし不良の方向に行ってしまったからだ。Yにはふたつ年上の兄がいて、これがまたYと同じくものすごいハーフの美少年なのであるが、同時に地元で有名な不良でもあった。そうした兄の影響で、Yが似た道を歩んだのも無理からぬことがあるかもしれない。あまりいい話は聞かなかったが、ただ昔のよしみというか、僕と絡むときはそういった様子はなかったし、たかられたりすることもなかった。Yとの中学の時の一番の思い出は、まだ入学したばかりのころの話だ。クラスで友達が作れずにいたので休み時間にすることがなく、つまらなそうに廊下をぶらぶらと歩いていたら、偶然、同じようにすることのなかったYと出くわした。なんとなく二人で中庭の方へ歩いていき、敷石をひっくり返して、その中にあるアリの巣やダンゴムシなんかを観察して楽しんだ。中学一年生の遊びとしては随分と微笑ましいが、あのときは二人の孤独がぴったりとお互いを埋めあっていて、とても楽しかった。


Yが亡くなったのを聞いたのがいつ頃のことだったか、よく思い出せない。たぶん大学を出たかそのくらいの頃だったろうか。精神を病んでの、自殺だったという。あんなにかっこよくて面白いやつが、どうしてと、今でもその原因はよくわからない。たまに地元で買い物している姿を見かけた、北欧系の素敵なご婦人だったYの母上の悲しみを想像すると辛くなる。人の運命とはわからないものだ、とは言うものの、あんまりなことだと思う。


Yと、その兄について、面白いネタがある。それは彼ら兄弟の名前に関する小話で、どこで披露しても絶対に大ウケする鉄板のネタなのだが、その名前によって個人を特定することが出来てしまうので、ブログなどこうした場に記載することはできない。ご容赦願いたい。しかし、まず死ぬまで一生忘れないであろう、実に不可思議な法則の名前であった。