新美南吉 著『ごん狐』
われわれはなぜ
無垢なものに涙するのか
289時限目◎本
堀間ロクなな
最近ではすっかり涙腺が緩んでしまって、何かにつけて熱いものが込み上げてくるのだけれども、あらためて振り返ってみると、これまでわたしが最も涙を噴きこぼしながら読んだ本といえば、新美南吉『ごん狐』、ウィーダ『フランダースの犬』、宮沢賢治『よだかの星』がベストスリーに違いない。いずれも動物を主役にした作品にあって、わけても小学校の教科書で出くわした健気なキツネの物語には心揺さぶられ、学校から帰る道すがらずっと泣きどおしだったことを覚えている。
1913年(大正2年)愛知県の知多半島の町に生まれた新美南吉は、病弱な身の上で童話や詩の投稿をはじめ、鈴木三重吉主宰の文芸誌『赤い鳥』に『ごん狐』が掲載されたのは18歳のときだった。前後して東京外国語学校(現・東京外国語大学)に学ぶため上京し、卒業後は地元の安城高等女学校(現・安城高等学校)の教諭などをつとめる一方で、意欲的な執筆活動に取り組んだものの、咽頭結核によってわずか29歳で人生を終える。そんな南吉にとってはさぞや不本意だったろうが、手元の文庫本で12ページほどの『ごん狐』が随一の代表作として残された。
ストーリーを詳しく紹介する必要もないだろう。ごんという名のいたずら好きのキツネが、ある日、村人の兵十が川で漁をしているのに行き会うと、すきを見て魚籠のなかのウナギを盗んでしまう。しばらくして、兵十の家から母親の葬式が出るのを遠望したごんは、あのウナギは病床の母親に食べさせようと獲ったのに自分が横取りしたため叶わなかったのだろうと察する。「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」とつぶやくと、それからは毎日、兵十の家へクリやマツタケを届けるように……。この子ども向けの話でも、作者はおのれの行く末を見据えるかのように、はなから死と孤独が濃い影を落としているのだ。
ところで、最近刊行された小林武彦著『生物はなぜ死ぬのか』(講談社現代新書)で、つぎのような記述を前にして目からウロコの落ちる思いがした。
「少し残酷な感じがしますが、多くの生き物は、食われるか、食えなくなって餓死します。これをずっと自然のこととして繰り返しており、なんの問題もありませんでした。(中略)寿命で死ぬ場合も基本的には同じで、子孫を残していれば自分の分身が生きていることになり、やはり『命の総量』はあまり変わっていません。食う、食われる、そして世代交代による生と死の繰り返しは、生物の多様化を促し、生物界のロバストネス(頑強性、安定性)を増しています。つまり生き物にとっての『死』は、子供を産むことと同じくらい自然な、しかも必然的なものなのです」
こうした生物界にあって、人間だけは進化の過程で集団を形成して他者とのつながりにより生き残ってきた経緯から「共感力」を身につけ、大切な絆を喪失させる「死」に対してひたすら恐怖を抱くのだという。その結果、みずからの「死」についても自然なもの、必然的なものと受け入れず、それだけにつねに「死」の観念にまといつかれることになったのが人間なのだろう。
キツネのごんは、兵十の最後の親孝行を邪魔したことの罪悪感と、天涯孤独になった境遇への同情心から、かれのもとへ山の幸を運ぶという挙に出たわけだが、そこにはあくまで自然な感情の発露だけがあって、危険をともなう行動にもかかわらず「死」にまつわる観念は一切ない。そう、あたかも幼子のように――。だからこそ、兵十から不思議な出来事を聞かされた近所の加助は、そこに人間離れしたものを感じ取って「そりゃあ、きっと神さまのしわざだぞ」と告げたのだろう。しかし、兵十はあくる日、ごんが家に入ってきたのを見咎めて火縄銃で撃ってしまい、そのあとで土間に置かれたクリの実に気づく。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったり目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は、火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
この短いラストシーンは、幼子のようでもあり、神さまのようでもある無垢な存在に対して、どうしようもなく人間が負っている「死」の観念のあてどなさを突きつけてくる。そこには怒りや惑いよりも、静かな悲しみと諦観がわだかまっているかのようだ。もはや、われわれは涙することしかできない……。おそらくは終生、みずからの「死」の観念から逃れられなかった南吉が、その双眸でひとり凝視していた境地なのだろう。