ロシア帝国の道18-ポチョムキンのクリミア占領
2021.05.26 11:09
アメリカ独立戦争の帰結がはっきりする頃、東方でロシアはさっさと動き出していた。1782年保護国クリミアの反乱を口実に、エカテリーナ2世はクリミアの併合を強行した。この地に侵攻して、県知事になった男は、女帝の愛人ポチョムキン公爵である。彼はセヴェストポリ要塞を築き、黒海艦隊を創設する。
実は、外交上手な女帝は、オーストリアのヨーゼフ2世に、さらにオスマンの支配するヴァルカンの分割を提案していた。この秘密協定のもとにクリミアに侵攻したのである。バイエルン獲得に失敗して、なんとかハデな勝利をしたい皇帝ヨーゼフは、フランスも参加させようとした。
取引条件はオスマンからエジプトを取ること。多方面からオスマンに介入してオスマンを危機に陥らせる。ルイ16世は、その計画もなく、ヨーロッパ均衡の立場からこの分割作戦にのらず、皇帝ヴァルカン侵攻はできず、結局ロシアのみが得をしたが、この単独介入は露土戦争につながっていく。
マリア女帝崩御後、皇帝ヨーゼフは、ヨーゼフ主義といわれる改革を実施、農奴を領主支配から、皇帝支配にさせようとした。さらに宗教寛容令を出し、新教にも権利を与え、実情のない修道院はとりつぶした。40歳にして惑わずではなく、ようやく立った男は、対外的にも冒険をまだ行おうとする。