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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

フランス革命の道17-カロンヌのバブル政策

2021.05.27 11:22

1783年11月、地方の総監カロンヌが財務長官に就任した。彼を押したのは徴税人組合や金融界、ポリニャック派も絡んでいる。アントワネットに取り入る夫人は80年に公爵となり、王妃への取り入り競争は、この後根も葉もないスキャンダルネタを提供することになる。

カロンヌは、再び経済拡張政策に戻す。戦争が終わり、オランダとスイスの投機熱がパリに押し寄せ、株や不動産は上がり、バブルが踊った。カロンヌは、その楽観さをフランス産業への投資に誘導しようとした。繊維工場、製鉄所、化学工場がつくられ、産業する貴族ができていく。

カロンヌはまた、貴族の支持を得るために、宮廷の放漫さも復活させた。アントワネットとポリニャック派のために、音楽も育成し、バブルも相まってパリは空前の活況を呈した。タレーランは「1789年以前に生きたことがない者は、人生の快楽がわからない」と後に言い放つ。

カロンヌは、不動産ブームに乗って、パリの美化を行おうとした。しかしそれによって家をなくしたその日暮らしの貧者があふれた。貧富の格差が広がり、バブルで仕事のあるうちはよかったが、その終焉と共に、無産者達は過激化して、革命に向かう力となってゆく。

下はカロンヌ時代に工事が本格化したコンコルド橋