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Site Hiroyuki Tateyama

1988-4 <遺言>

2021.05.28 10:20

帝国劇場での『テンペスト』から5年、1993年放送のNHKの大河ドラマ『琉球の風』にて、薩摩藩主島津家久(忠恒)を演じた。その際、島津家の家老として、家久の側近中の側近であった樺山久高を演じたのが若松武史さんだ。

1992年末、NHKのリハーサルスタジオで再会し、ご挨拶もそこそこに撮影に臨んだ。クランクアップ後は、舞台出演のお知らせをいただいたが、それっきりとなった。

4月14日、若松さんの訃報を受け、遠い記憶を手繰ってみた。午睡の夢のように靄っているが、断片的に鮮明であった。

さて、祖父は、竪山春村名義で鹿児島案内記や鹿児島県温泉誌を上梓し、コピーライターの走りでもあったという。晩年は医学雑誌の編集を生業にしていた。

鹿児島の放送局に45年も奉公した父には、黎明期からのテレビ番組がある。

出版にしてもテレビにしても、彼らの仕事は遺言のようなものだ。

母方の祖父は漢方医だったというが、母が中学の時に亡くなっているので詳細はわからない。母の同級生からは、小学校の(鹿児島市立草牟田小)PTA会長を引き受けていたと聞いている。

母の母も早世し、私は母方の祖父母のことをまるで知らない。没後41年になる母がどういう嗜好だったかも、今となっては大雑把な理解だ。だから、自分の血を考える際の道標に乏しい。

近年、時流は速度を増し、分母が増えた分、人物や仕事の価値は下がり、いとも簡単に記憶から消されてしまう。

私の昔話は、子供への遺言であり、子孫への道標である。『親の因果が子に報い』だ。

ただ、お付き合いいただいた皆様には退屈だったろうにと恐縮している。