フランス革命の道18-パレ・ロワイヤル
2021.05.28 11:10
1780年オルレアン公フィリップ2世は、かつてルイ14世も住んだパレ・ロワイヤルの屋敷の庭園の周囲に建物で回廊をつくり、商人に貸し出した。するとそこは、アーケード街のような賑わいを見せ、レストランだけでなく、大衆劇場やカフェが出来、流しの楽師、娼婦までが集まる場所となった。
おまけにここは大貴族の私有地ということで、警察も立ち入り禁止だったのだ。つまり一種の自由空間ができたわけである。当然きわどい政治風刺詩が販売され、自由にものを言った。物見遊山な貴族達も、そこへこっそりお遊びに出かけて、ビリヤードや賭けで楽しんだ。
カトリックはいろんな祭りを考え出したが、パリはカーニバル都市と化していたのだ。多分ベルリンでこれをやれと言っても無理だろう。そこではまさにカトリックのカーニバルのように、無礼講で、身分の混在が起きていた。つまり三部会はもう起こっていたのだ。
少し前の啓蒙文化人達が居たのは、貴族のサロンだった。そのおしゃべりは印刷されることで、サロンを飛び出し、その言葉はもっと過激になって大衆がしゃべるようになった。やがて絶好のヒーローが飛び出し、89年に「諸君武器を取れ!」とアジテーションがされるのがこのパレ・ロワイヤルである。