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Baby教室シオ

偉人『ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト』

2021.06.04 00:00

自分とは異なる世界の人々とお付き合いする中で興味深い話を耳にすることがある。今回は東京に拠点を置き全国各地で演奏会を開いている音楽家である御方々のモーツァルト話を思い出し記事にしてみる。

彼ら曰く、ピアノを専攻する学生や駆け出しの音楽家の目標となるのはリストやショパン、ラフマニノフ、ラヴェル、時にはスクリャービンなどが挙げられ、「モーツァルト」を目標とする者はいないに等しいらしい。しかしそこで万が一でも目標がモーツアルトという人物がいたとするなら「おっ・・・となる」と言うのだ。

その「おっ」の意味は『モーツァルトは誰でも弾ける』という本音と「易しくみえて案外奥深くて難しい」と答えてしまう建前の両方を持つ音楽家が多いだろうと会話していた。どうも芸術界に於いても本音と建前があるらしい。

こう語る彼らも若手の頃はモーツァルトを目標にすらしようなんて考えなかったらしいが、その道のパイオニア的存在になり、世界で活躍されると見方が変わるのだとか。

彼ら曰く、モーツァルトを軽々しく誰もが弾けるという認識を持っている音楽家は、音楽家の風上にも置けないというのだ。身がよじれるほど美しいものであったり、呼吸できないほど切なくなるメロディー、深い旨味のある音を出す難しさや奏でられた時の喜び・・・などを感じ表現できるまでには酸いも甘いも噛み分けた人生経験が必要だと語っていた。意味深発言や含み笑いもしながらの会話は時に音楽界の裏側を見る瞬間もあるが、これまた我が想像を超えて面白いのだが公的場面では語れないのだ・・・。

では彼らがリスペクトするモーツァルトとはどのような人物であったかをみていこう。

誰もが知る音楽界の神童モーツァルト。1756年ザルツブルグの宮廷音楽家レオポルトと妻マリアの間に誕生する。姉ナンネルのレッスンを聞いていた3歳のモーツァルトが突如3度の和音で演奏し始め、父はその才能に驚き音楽教育を本格化する。5歳で『メヌエット』作曲し譜面化、6歳でマリア・テレジアの前で演奏し、9歳で交響曲を書き、西ヨーロッパ全土で演奏活動を行い名声を轟かせた。

短い35年の人生は故郷での活躍の場所は無く、憂いの中にありながらも彼の傑作といわれる作品を次々に書き上げている。苦しいことがあると逃げてしまうのではなく、自分自身ができることを模索し行動を起こしているのだから強靭な精神の持ち主である。その後活躍の場を求めウィーンに移り住むも宮廷楽団に属することはできず、フリーランスで生活の糧を得るために作曲をし演奏会を開き成功した。しかし貴族の望む楽曲と自ら望むものとの隔たりを埋められず人気が低迷するなどヨーロッパ全土を席巻しても苦労多き晩年だった。浪費家である妻の存在や自分自身のカードゲームで散財し経済的にも苦しい晩年でもあった。


さぁここからが今回の本題である。

モーツァルトの神童といわれる音楽的センスについて乳幼児期の発達に隠されている秘密を解いてみよう。


子供の音楽的敏感期は2歳~5歳である。

生後3ヶ月から音の聞き分けが始り、1歳で音程やテンポ、リズムを自由に探索し楽しむ行動が発達する。2歳ではドレミファの音階に当てはめて自発的な歌を歌うようになるが、多くの子はまだ正確な音を取ることはできない。昨今CMでも見掛ける村方乃々佳ちゃんと驚異の2歳時もいるが、子供は生まれた直後から音の環境から大きな影響を受け音楽的発達をしていくものである。また同時に音を究めるためには静寂の中での音への集中力も求められることから音楽を一日中流していることは望ましくない。

モーツァルトの場合父は宮廷音楽家であり一般家庭より音楽要素が溢れていたと考える。また現代のように機械音が無い時代であり、静寂の中で音を聞き分ける環境が整っていたであろう。音に対する能力は生後3ヶ月から5歳まで発達をし続けるのであるから彼は日常が鍛錬の日であったに違いない。子供の敏感期は苦労せずに本能を最大に活用し能力を伸ばせることから、彼が3歳にして3度の音階を聞き分けていたことは十分に有り得ることで何ら不思議ではない。

活躍中のピアニスト辻井伸行氏が生後8ヶ月でショパンの英雄ポロネーズを喜び、毎日聴かせていたCDとは別のものを聴かせると反応せず、母が最初のCDを再購入して聴かせると全身で喜びを表現した話は有名である。このことからも分かるように音に集中する環境が整えば乳児でも聞分けることができるのだ。今流行の一度聴いたら耳コピできるハラミちゃんも乳幼児期から音楽の敏感期といわれる5歳までに何らかの音への集中をはかっていたに違いない。

4、5歳で音楽の敏感期がピークを迎え、6歳でその敏感期は消え去ることから音楽家が我が子の音楽教育を3歳頃からアプローチするのは自然なことである。仕事柄楽器を始めるタイミングについて質問を受けるが、音楽への敏感期を逃したくなければ乳児期から音楽環境を整えるべきである。

また日常の中に音楽が流れていない環境下の中でピアノに向かう、ヴァイオリンを肩に載せ顎で挟んでも苦痛にしかならない。趣味程度の音楽習得であれば義務的に強制的な音楽教育を受ける前に、多くの素敵な音楽に出会うこと、音楽に合わせたアクティビティーを楽しみ音を出す喜びを経験させることが重要だと考える。

子供の敏感期はどの子にも必ず訪れる。モーツァルトはたまたま音楽家の家に生まれて環境に恵まれ、その敏感期が最大に良い方向へ働きそれを父レオポルトは見逃さずに教育し、専門家の目でマネージメントできたことが音楽家への成功に繋がったと考える。

一時期赤ちゃんはみな天才というフレーズを耳にし目にすることがあったが、私は生まれてきた子供達全てに平等の発達の敏感期が与えられることから一理あると考える。しかしその敏感期を親が認知していないことや見逃していることから最大限に引き出せていないだけなのだ。

胎教に良いと持て囃され、植物の成長にも良い結果をもたらすと農場で流され、科学的に脳を中心とした神経系に刺激を与え、脳の働きを活発にすると解明されたモーツァルトの曲に多く含まれる高周波。弾き手が弾きやすく、聴き手が聴きやすいということを鑑みても彼の作品には音楽だけで評価するには勿体無い芸術の域を超えた価値があるように思う。

今日は母が好んで聴いていた『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』や祖母の思いで詰まる『ピアノ協奏曲第21番第2楽章エルヴィラ・マティガン』を家中に響かせて時を全うしよう。少しは初老の脳に良い刺激を流すのも悪くはないだろう・・・