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アイデンティティー×ナショナリティー×舞踊 ― 日本人でインド舞踊を学ぶということ。

2016.12.20 18:22

インド系移民ではない外国人でインド舞踊をやっている人なら誰しもどこかでぶつかる疑問や壁の一つに、自分のナショナリティーとアイデンティティーがあると思う。  


カタックを習い始めた頃は、カタックを踊るのは好きだけど、カタックはインド人が踊るものだし、インド人のパフォーマンスしか観たくないと思っていた。数年習って、インドへ留学し、日本へ戻ってからロンドンに留学したときには、1年間のインド留学が、私をロンドンのインド系移民よりもインドの立ち居振る舞いに精通させていたことに驚いた。もちろん、私の見た目は全くの日本人で、彼らはイギリス英語と英語訛りの南アジア言語を話さなければ、またあの無表情な感じの顔つきをしなければ、みんな南アジア人に見えた。さらに、ワークショップに参加すれば、白人のイギリス人、ベルギー、スイス、フィンランドほかからの西洋人が、マイノリティーではあるけれどカタックを踊っていることも分かった。そして、東洋人の私のほうが、インド舞踊を踊るにはまだ違和感はないはないのかなとも思っていた。  

ロンドンは、東京に比べて圧倒的に南アジアに近かった。移民が多い分、文化のルーツの維持を目的に子供に古典舞踊や音楽を習わせる親も多いし、印パから舞踊家がやってきて公演やワークショップを行う回数も多い。でも、やっぱりロンドンであることには変わらなくて、インドで感じた風を感じることができなかったし、違和感を感じ続けていた。また、色んな流派のカタックを観る中で、やっぱりマハーラージ師匠のスタイルが一番だと確信した。  

その結果、数年前からまたこうしてデリーに住んでいる。日々の生活は簡単ではない。夢に描いた通りの毎日カタックのレッスンと、夢にも思わなかったようなメンタル面での厳しさと人間模様。この2年強ですごく色んなことを習い、感じ、考えた。カタックを習い始めた頃に抱いていた「カタックはインド人が踊るもの」という考えもかなり変わった。外国人の私でも、少なくともカタックを習いたてのインド人よりは踊りとしてかたちになっている(と信じている)し、幼少時代から習っていた西洋音楽のおかげで、それを応用してインド古典音楽のリズムにも対応できている。外国から短期間デリーにカタックを習いにきている外国人のクラスのサポート的なこともした。つまり、カタックをインド舞踊ではなく舞台芸術として考えれば、ナショナリティーを取っ払って考えることができるのだ。  


逆に、先日拝見した日本舞踊の公演に通訳で入り、日本舞踊を拝見したとき、私は日本人なのに自分の反応が他の外国人と殆ど変わらないことに気付いた。それなのに、やっぱりそれは「自分の国」のものだから、すごく愛おしく、親しみがあるようにも感じられた。とにかく、私がいかに自分の国に対して無知なまま暮らしてきたか、そしてなぜ自分の国ではないインドの舞踊を踊っているのかを考えざるを得なかった。今なぜ私はインド舞踊を踊るのか、改めて自問自答してしまった。  


インド人全員がインドの舞踊や音楽を踊ったり奏でたりできるわけではない。そして、日本人の私はインド人の舞踊や音楽を習っていない人に比べて、ある一定の深さまでカタックを習ってきた。しかし、日本人の私は日本の伝統的な踊りや唄を全然知らない。海外で日本舞踊をやっている外国人の方が、日本人の私よりも断然詳しいに違いない。  

他方、日本人の中にもバレエや社交ダンス、フラメンコなど、もともとそのダンスが生まれた国の人よりも、そのダンスの世界で活躍している人がいることもニュースで見聞きする。そういった人たちは、自分のナショナリティーを越えて、自分にしかないアイデンティティーでそのダンスを芸術として極めたということだと思う。 


正直、この3年目(通算4年目)のデリーは自分との戦いだと思うし、今後こっちに滞在すればするほど、もっとそれが厳しくなると思う。 自分のアイデンティティーを否定しないように、強い自分を持たなくちゃ。

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