「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 平岡円四郎の死にみる「円四郎ロス」と今後の展開
「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 平岡円四郎の死にみる「円四郎ロス」と今後の展開
水曜日は「大河ドラマ 青天を衝け」について書いている。まあ、人気があるのかないのかなどはあまり良くわからないが、歴史を扱った内容としては非常によくできているというような感じだ。まあ、単純に見ていて面白いということなのだ。
歴史のドラマというのは、歴史さえ知っていれば次に何が起きるのか、どのような場面になるのかはだいたいわかる。逆に言えば「次にこの場面になるから、ここで伏線を作ったな」「フラグが立った」などの楽しみ方ができるのである。
先週、西郷隆盛が「先が見終えすぎる人は早死にする」というようなことを言った。歴史を知っている人、またはドラマが好きで少し調べた人であれば、当然に、次の展開、つまり今週に平岡円四郎が死ぬということはわかっているということになる。歴史小説や歴史ドラマの醍醐味は、そのようなストーリーを追うことではなく、その場面の表現をどのように行うのかということに尽きる。演出家・監督・役者などによってその表現方法は全く異なる。その表現方法や演出に関して、それを味わうというやり方が最も面白いのである。
もちろん、歴史であるから、人が死ぬ場面などは詳細に記録があることも少なくない。3月くらいに放送された桜田門外の変のように、当時の記録がしっかりと残っているという場合であっても、その内容に様々な「記録に残っていない部分」をドラマの中には盛り込むのであろう。ましてや、平岡円四郎のように、詳細な記録が残っていない状況における暗殺の場面は、やはり歴史的な解釈や演出によって表現される。その表現方法を楽しむのが、最も良い歴史ドラマの楽しみ方なのであろう。
当然に、その死ぬ間際のセリフなども、様々なことを考慮しながら出てくるはずである。例えば板垣退助が襲撃されたときに、本当は「痛い痛い」といっていたのに、いつの間にか「板垣死すとも自由は死せず」といったことになっている。まあ、どちらでもよいのであるが、その人のイメージというのは、後々に板垣退助のような「伝説」に代わるのである。
当然に平岡円四郎のような人物であっても、その内容がしっかりしており、また、その先に次のドラマの伏線が待っているということになろう。
大河「青天」円四郎、突然の最期 妻やすの名呼び ネット悲痛「切なすぎ」「掛け軸に」
NHK大河ドラマ「青天を衝け」第16回「恩人暗殺」が30日放送され、一橋慶喜(草なぎ剛)側近で、堤真一が演じる平岡円四郎の非業の最期が描かれた。反乱を企て命運が尽きかけていた主人公・渋沢栄一(吉沢亮)を救い、一橋家の家臣にして武士に引き上げた人物。誰もが才覚を認める存在だったが、幕末の不条理の中で散った。
最後は仲むつまじかった妻やす(木村佳乃)の名前を呼んで、事切れた。放送後、ネット上では「平岡円四郎」がトレンド入り。
「未だ円四郎さまの死を知らないやすさんが切なすぎる」「最後にやすさんの名前呼ぶのがまた円四郎様らしくて」「素敵な夫婦だったのに切ない」「最後にやすだったの、凄く痺れた」「やすさんの悲しい顔を見るのが辛すぎて」「来週はやすさんに円四郎の訃報が…」「来週もつらいな…」と悲しむコメントが相次いでいる。
また円四郎が江戸の家を出る前に、掛け軸の裏に何かを隠すような場面があったことに注目し、次週に妻が何かを見つけるのではと予想するコメントも続いている。
デイリー 20210530
https://www.daily.co.jp/gossip/2021/05/30/0014373349.shtml
さて、その前に平岡円四郎、そしてもう一人一橋慶喜の所には知恵者がいた。これが原市之進である。原市之進については、私が上梓した「暁の風 水戸藩天狗党始末記」の中に書いてあるが、実際に、平岡円四郎が暗殺された後、一橋慶喜が最も頼りにした人物である。原市之進は、水戸藩出身で、徳川斉昭に見出され、弘道館の訓導(教師)となり、翌年には経済なども講じる箐莪塾を開き、門弟は500人に及ぶ。その弟子の中に天狗党の首謀者である藤田小四郎も存在する。文久三年から一橋慶喜にヘッドハンティングされて、平岡円四郎の死後、最も信頼された側近となるのである。当然に、天狗党が敦賀で捕縛されたのちに一橋慶喜に助言をしたのは原市之進ということになろう。ただ、平岡のような幕臣からではなく、原が水戸藩であったということから、なかなか複雑な処分になってゆくのである。
さて、原市之進について書きたいわけではない。私が言いたいのは、この「知恵者」である原市之進も、慶応三年に同僚の鈴木豊次郎・依田雄太郎ら刺客により、結髪中に背後から襲われ、首をもがれて暗殺されてしまうのである。残念ながら一橋慶喜というのは、優秀な部下がすべて、それも平岡は水戸は、原は同僚というように敵ではなく身内に殺されてしまうという「家臣運のない人物」であったというような気がする。
さて、その平岡円四郎について。
当時の大人物というのは、西郷隆盛であっても大久保利通であっても、そのほかの維新の人物にしても、「学業が優秀であった」とか「武力が強かった」というわけではなく、「自分の信じた道に対して忠実であった」ということと「人物が大きかった」ということ、もっと言えば「広く、下級の庶民などまで目を配り、しっかりと物事や人物を見ていた」ということが特徴ではないかと思う。
今回も、大河ドラマの中のセリフの中で、慶喜が「(渋沢達)彼らは大丈夫か」と聞いたときに、平岡円四郎は「私の目に狂いはありません」と笑い話にしながら話す。まさに「人を見る目」がしっかりしていて、その人の動きから時代の先を読めた人々が、幕末の志士の中で素晴らしいと評価された人ではないかと思う。
まさに平岡円四郎はそういう人であり、早くに出てきた人は先に叩かれてしまったという結論ではないかという気がするのである。
そして「人物の基本」として「愛妻家」「家族や仲間を大事にする」というようなことがあり、そのことから「やす(円四郎の妻)」の名前を呼びながら死んでゆくという演出にしているのではなかろうか。最後に家族を思った、その名を呼んだ、その心はいかようなものであろうか。
大河ドラマというのは人の一生を描くものである。その中では当然い様々な人の出会いと別れが掛かれる。当然に、幕末や戦国時代であれば、病死や暗殺、戦死など様々な状況での死別があるのだが、その内容をいかに描くのかということが、そのままその人の本質につながるのではないかと思う。人を描くということは、やはり死生観をしっかりと書くことが重要なのであろう。それができているから、大河ドラマは面白いのである。