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「民」という字の語源

2018.05.31 07:00

http://saikawa.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_fb42.html 【「民」という字の語源】より

「民主主義」、「民衆」、「民間」などに使われている「民」という漢字の語源を皆さんはご存知でしょうか?

実はこの「民」という語源は目を針でさす様を描いたもので、目を針で突いて目を見えなくした奴隷をあらわしています。のちに目を見えなくし、分別を出来にくくすること、支配下におかれる人々という意味で派生したのが「民」という字で、情報を極力与えない、内容をわかりにくくして煙に巻く、という裏の意味があります。

目を現す「口」に右側から針を刺し、左側から血のようなものが垂れている様子が「民」という字の語源です。実は今日、市長と話す時間があり、その中で

『「民」という字の語源をご存知ですか?』

というお話がありました。私の一般質問を傍聴されたり、ビデオで見て頂いたかたはお気付きかもしれませんが、私はいつも冒頭にその質問の根拠となるお話をします。例えば当選してすぐの6月議会では夕張市の例を挙げ、財政破綻の悲惨さを伝えた上で『10年、20年後の浦安を見据えた行政運営(無駄を省いた行政運営)をして欲しい』と訴えました。2回目の9月議会では武田信玄の言葉「人は城、人は石垣、人は掘り、情けは味方 あだは敵なり」という言葉を引用し、『「人」こそすべて、人を活かす行政運営こそ効率的で効果的な行政運営の第一歩であるから職員の意識向上を大切に』というお話をしました。また先の12月議会では徳川家康の「何にも構わず、我等跡にて、天下二代も三代も替わらざる様に、国風(くにぶり)すなおの仕置、工夫思案の分別は、大仏何体建立にも、遥かにまさるべきと思うぞ」という言葉を引用しました。

意味は徳川家康が家臣から「天下を治められる方は末世(まつせ)まで名前が残るようにするのも当然、太閤秀吉公は都に大仏殿を建立されそのお名前は何時までも残りますよ」と言われた際に家康が言ったのが上記の言葉です。意味は「確かに大仏殿は末世に残る太閤の名誉であるが、私はそれよりも天下が二代、三代も替わらず、政治が安定する、その工夫や思案をすることが大仏を何体建立するよりも勝るべきだと思う」ということです。ハード(箱物)よりもソフトの重要性を伝えた言葉です。12月議会ではこの言葉を引用し、まさにハードよりもソフト重視の行政運営を訴えました。

質問の内容はぜひビデオをご覧(西川嘉純で検索下さい)頂けたらと思うのですが、こうしてうんちくを取り混ぜながら毎回一般質問をさせて頂いています。その中でいずれは「民」という語源を取り上げ、一般質問をしようと思っていました。それは『市民との情報の共有こそ新しい政治の第一歩である民の目に刺さった針を抜き、奴隷ではなく主権者としての意識をあらためて持てるように行政運営を行なって欲しい、市、市長も率先して情報の共有を』とお話をする予定でしたがその必要はなかったようです。

私が何より驚いたのが現職の市長から「民」の語源の話をされ、「私は目に刺さった針を抜き、開かれた(情報共有)の出来る行政運営をしていきたい」との言葉を聞いたからでした。「当たり前じゃん」と思われるかもしれませんが、為政者、政治をするものがいちばん恐れるのがこの「情報の共有」なのです。情報の共有は諸刃の刃で、あまりにも情報を与えすぎると民が賢くなり行政運営が立ち行かなくなるというのがこれまでの為政者の考えでした。「政治は難しい」と思われるのも実は行政側が情報を分かりにくくしているに過ぎないからです。

『政治とは生活である』

どっかの党のキャッチみたいですが、、、まさに生活に密着したのが政治なのですが、それを分かりにくくしている、そのことを「民」という語が表しています。だからこそこの「情報の共有」を声高らかに唱える為政者はこれまであまりいませんでした。唱えれば唱えるほど行政運営が難しくなるというのがこれまでの政治の常識だったからです。しかしながらそうでしょうか?行政はそもそも市民の代わりに我々「政治家」と称する市長や議員が行なっているに過ぎません。民の目に刺さった針を抜くというのは当たり前なことなのです。しかしながらこの当たり前のことが出来ていないのが政治の世界です。しかしその中でも行政のトップである市長からこの話が先に出てきたことで私は浦安は地方自治の最良のモデルになり得るのではないかとあらためて感じました。

ボールは議会に投げられているのかもしれません。

「行政と議会は車の両輪である」という話を以前しましたが、議会も変わらなければなりません。私は↑のような話があったからといって市長の施策に対しすべて『賛成』というわけではありません。アクセルとなるときはアクセルとして、ブレーキをかけなければならないときはブレーキとして議会の役割を担っていきたいと考えています。議員として施策の根拠や問題点はこれまでどおり指摘していきます、ときには厳しく。しかしながら議会として果たして建設的な議論が出来ているのか、考えさせられることもあります。

議会人として浦安のためにどうあるべきか自問自答しながらより開かれた議会になるよう「結果を出して」いきたいと思います。

今夜は少し長くなりましたが、明日も少し語っていきたいと思います。またお付き合い下さい。