【ブログ】ひらめきは人生の最適解なんだけど、行動にうつせない自分に自己嫌悪する時。その3
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「ひらめき、ふとした発想は人生の最適解なんだけど」
「行動にうつせない自分に焦るし自己嫌悪する」
→ 「自分を眺めて深呼吸」
「今ここには今この瞬間しかない」
その3
できてる部分があった場合でも、できなかったことばかり目がいってしまったり。
心臓のあたりに鉛の塊があるような重たさ、息苦しさ、焦りや自己嫌悪の感情で心がいっぱい、
少しでも行動を起こさなきゃ自分はダメなんだという考えであたまの中がいっぱい。
こういう時。
さっき(その2)は
深呼吸しよう、自分を俯瞰しよう、観察しよう、自分を少し離れたところから観察しよう、今ここには今のこの瞬間しかなくて、良いも悪いもなくて、ただそれだけだあるんだ
みたいなことを書いたんだけど。
もし自己嫌悪のぐちゃぐちゃな感情のままで動いたとしたら?
このまま行動しても「焦り、心地わるさを解消するために行動する」だけになってしまう。
「やりたいからやる、ひらめいたからやる、それを楽しむ」という思いついた当初の純粋な感覚ではなくなってて
せっかくのひらめきも有効活用できなくなってる。
それでも行動したら行動した分、何か現実も変わっていくし、動いたあとには動けたという満足感・安心感はあると思うし、それも否定はしなくていいんだけど
そこに乗っている感情が
「焦りを解消するのだ~」というのと
「純粋に楽しむんじゃ~」というのでは、
動いた後にあらわれる現実も違ってくる。
それに、動けた後の満足感・安心感もおそらく一過性のもので、
根本に「自分は〇〇しないとダメ、やらなければいけない」
何か自分に条件を付けて、自分はこれならOK・これならダメ
という根っこがあるままでは、
また同じような焦り・自己嫌悪を感じるようなことがやってくるかも。
「〇〇をやれなかった自分はダメ、が前提の、〇〇をした自分は素晴らしい」はやめにしよう!!!!!!
「〇〇をやれなかった自分」はそれはそれ、事実としてそこにあるだけ。善も悪もない。
「〇〇をした自分」も、同じように事実としてそこにあるだけで、善も悪もないけど、
せっかくなら「〇〇をした自分は素晴らしい」ってだけ、甘々に褒めてあげよう。
なにはなくとも自分は素晴らしいし、さらに
〇〇をした自分も素晴らしいじゃん、いいじゃん
自分も、周囲も、未来もいい気分にできる方法として、自分をいい気分にするというのがある。
自分を甘々に褒めるの、もっとやろう。