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センス・オブ・ワンダー

2018.06.02 06:18

Facebook・兼井 浩さん投稿記事「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。

- - レイチェル・カーソン

学問ばかり詰め込んでも、感受性がなけりゃ、人間のために正しく使うことはできやしない。戦争のための技術を造り出した時間とお金と努力を、善いことに使っていたら、今頃は世界中の人間が幸せだったんじゃないかと僕は思うよ。

~ 黒澤明監督 ~

レイチェル・カーソンさんも、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないという。子どもは生まれながらに「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を持つ。そうしたセンス・オブ・ワンダーをはぐくむには、感動を分かち合ってくれる大人がそばにいることがなによりも重要だという。

きょうは、レイチェル・カーソンさんの詩のように美しい文章でつづられた「センス・オブ・ワンダー」のエッセンスを読んでみることにしましょう。

***

子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。

多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気がつき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、

「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」

と嘆きの声をあげるのです。

わたしは、こどもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかり身につきます。

消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。

世界中の子供たちに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー、神秘や不思議さに目を見張る感性」を授けてほしい。

幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

センス・オブ・ワンダー (レイチェル・カーソン)より

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レイチェル・ルイーズ・カーソン(1907年5月27日 - 1964年4月14日)は、

アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれ、1960年代に環境問題を告発した生物学者。アメリカ内務省魚類野生生物局の水産生物学者として自然科学を研究した。

農薬で利用されている化学物質の危険性を取り上げた著書『沈黙の春』(Silent Spring)は、アメリカにおいて半年間で50万部も売り上げ、後のアースディや1972年の国連人間環境会議のきっかけとなり、人類史上において、環境問題そのものに人々の目を向けさせ、環境保護運動の始まりとなった。没後1980年に、当時のアメリカ合衆国大統領であったジミー・カーターから大統領自由勲章の授与を受けた。


http://www.nozomi.ac.jp/book/sense.html 【The Sense of Wonderセンス・オブ・ワンダー(不思議さに驚嘆する感性)】より

レイチェル・カーソン著/上遠恵子訳(新潮社刊)

「センス・オブ・ワンダー」について(園長 樫村文夫)

この本には、幼児の感性を育てるうえで大切なことが、詩のように美しい言葉で書かれています。美しい写真もそえられています。きっとみなさんの宝物になると思います。ここに本文の一部と著者の「レイチェル・カーソンについて」を紹介させていただきます。

以下は本文からの抜粋です。

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ある秋の嵐の夜、わたしは1歳8か月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇のなかを海岸へおりていきました。海辺には大きな波の音がとどろきわたり、白い波頭がさけび声をあげてはくずれ、波しぶきを投げつけてきます。わたしたちは、まっ暗な嵐の夜に、広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。そのとき、不思議なことにわたしたちは、心の底からわきあがるよろこびに満たされて、いっしょに笑い声をあげていました。幼いロジャーにとっては、それがオケアノス(大洋の神)の感情のほとばしりにふれる最初の機会でしたが、わたしはといえば、生涯の大半を愛する海とともにすごしてきていました。にもかかわらず、広漠とした海がうなり声をあげている荒々しい夜、わたしたちは、背中がぞくぞくするような興奮をともにあじわったのです。

晴れて乾燥している日には、トナカイゴケのカーペットは薄く乾いていて、踏みつけるともろく、くずれてしまいます。しかし、スポンジのように雨を十分に吸いこんだトナカイゴケは、厚みがあり弾力に富んでいます。ロジャーは大よろこびで、まるまるとしたひざをついてその感触を楽しみ、あちらからこちらへと走りまわり、ふかふかした苔のカーペットにさけび声をあげて飛びこんだのです。

子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー…神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。

レイチェル・カーソンについて

レイチェル・カーソンは、アメリカのベストセラー作家であり海洋生物学者でもあった。1907年、アメリカのペンシルバニア州スプリングデールに生まれたレイチェルは、幼い頃から作家になることを夢に描いていた。大学では生物学を専攻し、ジョンズ・ホプキンス大学で修士号まで得たレイチェルは、そのまま研究生活をつづけたかった。しかし、父の死によって、母と姉の遺児である2人の姪との生活を支える責任はレイチェルの肩にかかってきた。内務省の魚類・野生生物局の生物専門官になった彼女に与えられた仕事は、海洋資源などを解説する広報誌の執筆と編集だった。いつの間にか彼女のなかで科学と文学は合流し、公務員生活をつづけながら再び作家への道をたどるようになっていったのだ。やがて、彼女は海洋生物学者としての素晴らしい作品、『われらをめぐる海(The Sea Around Us)』(早川文庫)、『海辺(The Edge of the Sea)』(平河出版)、『潮風の下で(Under the Sea Wind)』(宝島社)などを次々に発表し、いずれもアメリカではたいへんなベストセラーになった。これらの作品の美しい詩情豊かな文章は、いまでも多くの人に愛されている。

あるとき、作家としての名声を確かにしたレイチェルのもとに、友人からの1通の手紙が舞いこんだ。役所が殺虫剤のDDTを空中散布した後に、彼女の庭にやってきたコマドリが次々と死んでしまった、という内容の手紙だった。この1通の手紙をきっかけに、彼女は4年におよぶ歳月の間、膨大な資料の山に埋もれて、後に「歴史を変えることができた数少ない本の1冊」と称されることになる『沈黙の春(Silent Spring)』(新潮社)の執筆に取り組んだのだ。『沈黙の春』を執筆中にガンにおかされた彼女は、文字通り時間とのたたかいのなかで、1962年、ついにこの本を完成させた。『沈黙の春』は、環境の汚染と破壊の実態を、世にさきがけて告発した本で、発表当時大きな反響を引き起こし、世界中で農薬の使用を制限する法律の制定を促すと同時に、地球環境への人々の発想を大きく変えるきっかけとなった。この本は初版後30年になろうとする現在でもなお版を重ねているロングセラーである。彼女が発した警告は、今日でもその重大さを失わず、そればかりかさらに複雑に深刻になってきている環境問題への彼女の先見性を証明している。

レイチェル・カーソンは、『沈黙の春』を書き終えたとき、自分に残された時間がそれほど長くないことを知っていた。そして最後の仕事として本書『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』に手を加えはじめた。この作品は、はじめ、“ウーマンズ・ホーム・コンパニオン”という雑誌に「あなたの子どもに驚異の目をみはらせよう」と題して掲載された。彼女はそれをふくらませて単行本としての出版を考えていたのである。しかし、時は待ってくれなかった。彼女は1964年4月14日に56歳の生涯を閉じた。友人たちは彼女の夢を果たすべく原稿を整え、写真家チャールス・プラットやその他の人の写真を入れて、レイチェルの死の翌年、1冊の本にして出版したのである。『センス・オブ・ワンダー』は、まさにレイチェル・カーソンが私たちに残してくれた最後のメッセージなのだ。