今日は死ぬにはもってこいの日
2021.06.02 06:46
マンハッタンのイースト・ヴィレッジでホームレスが、
「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
というプラカードを掲げて、道ゆく人々を落ち着かなくさせたという〝都市伝説〟がある。
これはナンシー・ウッドの詩集から抜き出した言葉で、彼女がサンタフェ近郊に住みついて、古老のインディアンから聞き取った「口承詩」を「叙情詩」として収めたものだ。それぞれが独立した叙情詩ながら、この本全体が一編の長編の叙情詩にも受け取れる。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
(ナンシー・ウッド :日本語版は『今日は死ぬのにもってこいの日だ』になっているが、原題:は〝Many Winters〟)
▼ナンシー・ウッド :1936〜2013:アメリカの作家、詩人、写真家。子供向けの小説、フィクション、ノンフィクションだけでなく、数多くの詩集を出版。彼女の作品の主なテーマは、アメリカ南西部のアメリカン・インディアンの習俗・文化。
(タオス・プエブロ)
ニューメキシコ州のサンタフェからさらに北へ車で一時間ほど、プエブロ族が千年以上前から増築・補修を繰り返してきた日干し煉瓦の共同住宅を含む村落「タオス・プエブロ」がある。「タオス・ブルー」と言われる突き抜けた青空の下にベージュ色が映える。
ナンシー・ウッドがここへ28年も通いつめ、古老のインディアンに私淑して、彼らの「口承詩」や生き方を「叙情詩」として定着させたものがこの詩集だ。
ここで驚くのは、彼らの「死生観」で、「死」への恐れがまったく見当たらない。この詩集の冒頭の〝Many Winters〟に根拠があります。 つまり、私たちの文化での「冬」が意味するものとは異なり、彼らにとっての「冬」は「再生」と「甦り」なのです。全ての「罪」も「悪」もリセットされます。贖罪という観念もない。季節も生命も直線的に始まり終わるのではなく、円環的つまりサイクルという認識なのです。
だから、晴れて気持ちのいい朝にはわざわざ隣の家を訪ねて、「今日は死ぬにはもってこいのいい日だ」と挨拶に行くのだ。
冒頭の11行全体のコンセプトを表すインディアンの言葉がたった三音節のHo Ka Hey!で表わすという。
1876年、フロンティア史で有名なモンタナ州「リトルビッグホーンの戦い」で、カスター率いるアメリカ陸軍をシャイアン族、スー族などの連合が一人残らず殲滅するのだが、インディアンの戦士たちが、バッファロー狩の要領で馬体ごと寄せて撃つ、刺す、殴る、突き落として戦ったのだが、その時の発声が「ホカヘイ!」「ホカヘイ!」なのだ。
白人には意味が分からんとしても、〝命知らず〟感は充満していたと思う。無敵で怖い。
なんたって、「今日は死ぬにはもってこいの日だ」ってことなんだから。 日本の「特攻零戦」を少し連想させているが……。
そして、カスター指揮下の「第七騎兵隊」225名全滅。インディアン側も相当な戦死者だったという。
そして、14年後の1980年のサウス・ダコタ州での「ウーンデッド・二ーの虐殺」。同じく「第七騎兵隊」で「リトルビッグホーンの戦い」の復讐にも見えるが、総決算でもあった。
とにかく、これにて「インデイアン掃討殲滅最前線(フロンティア)」 は役目を完了して消えた。
(スー族の酋長「ビッグ・フット」の死体を眺める騎兵隊。)