ファルネーゼ宮 Palazzo Farnese
”公爵広場”とも呼ばれるファルネーゼ広場には、ルネッサンス建築のファルネーゼ宮殿がある。
歴史
1493年に枢機卿に抜擢されたアレッサンドロ・ファルネーゼが、1495年にこの土地を購入し1510年アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネに設計依頼。1515年から建設開始されたが、1527年のローマ略奪で建築活動は中止。1534年枢機卿がパウルス3世に変わり、計画を拡張。サンガッロの死後、たくさんの有名建築家が挙げられたが、 サンガッロのライバルであったミケランジェロが選出された。
1546年、ミケランジェロが引き継ぎ、3階部分とコーニスや中庭上部を設計。ミケランジェロの死後、1564年ジャコモ・デッラ・ポルタがファサードとジュリア通り側のロッジャの設計をして完成した。
18世紀にナポリのブルボン家の手に渡った後、宮殿内の装飾はナポリへ運ばれた。
現在イタリア国有だが、フランス大使館に家賃1ユーロで貸している。
ファサード
ヴィニョーラ設計で、後にジャコモ・デッラ・ポルタが受け継いだ。
★ ミケランジェロ
コロッセオのトラバーチンが窓枠の石に使われた。ファルネーゼ家の紋章。
コーニス(CORNICE)と言われる、屋根の飛び出した部分やテラスなどがミケランジェロの作品。
ミケランジェロの設計部分のコーニス。
ミケランジェロは1546年サンガッロの死後、設計を受け継いだ。実質的な変更は、教皇パウロ3世の大きくて美しい大理石の紋章部分である。後に小さな紋章が左右に加えられた。1547年春にプロジェクトが発表されたが、サンガッロ派から厳しく批判された。
ヴィニョーラの死後、中庭の設計を受け継ぎ、花輪のある洗練されたフリーズ、コリント式の柱により古典的な上層階部分はミケランジェロ設計である。
★ ファルネーゼのアーチ
ジュリア通りをまたいでファルネーゼ家の建物をつなぐ橋がある。橋にはファルネーゼの百合マークが2つ入っている。
建物から外に出ずにテヴェレ川を渡る橋を建造し対岸のファルネジーナ荘まで行けるギャラリーを造る計画もあったが実現しなかった。
中庭
各階、様々に様式を変えた歩廊と円柱の回廊。
宮殿内
大広間のバロック天井画
枢機卿オドアルド・ファルネーゼの命で描かれたバロック様式の大広間天井。アンニバレ・カラッチと兄弟作『神々の愛』1597年~1604年、最近、一年半かけて修復された。
絵画の間 Sala dei Fasti Farnesiani (1560)
フェデリコ・ズッカリと、フランチェスコ・サルヴィアーティのフレスコ画。
上の画像はWikipediaより
衛兵控室
部屋の中央には古代の彫刻『ファルネーゼのヘラクレス(コピー)』
★ オペラ『トスカ』
オペラのローマを舞台にしたジャコモ・プッチーニの作品、トスカの第2幕のシーンである。
★ ナポリ国立考古学博物館
この建物はローマ帝国時代の遺跡の上に建てれており、 多くの貴重な彫刻が発見され、カラカラ浴場から発見された牛の彫刻や、エルコレなども展示されていた。18世紀にナポリのブルボン家所有後、ファルネーゼ家の最後の末裔の娘がナポリのカルロ王との結婚時に、全てナポリに運んだ。現在、ナポリの考古学博物館にファルネーゼ・コレクションとして展示されている。
エルコレの像は 胴体はカラカラ浴場で、頭はトラステヴェレで見つかり、足は見つからなかったので、再生した。
情報
現フランス大使館、見学は特別公開日、予約のみ受け付け。
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ブログ
参考