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EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

公営質屋 モンテ・ディ・ピエタ広場 Piazza del Monte di Pietà

2020.09.18 19:00

★ 公営質屋 

モンテ・ディ・ピエタ宮(Palazzo del Monte di Pietà)は、教皇領で1539年からファルネーゼ家のパウルス3世が創立した、公営質屋。市民のための金融機関の本部。貧しい者が持ちよった物を、利息なしで現金に換えることができた。

この建物オリジナルは中央部分の1588年、枢機卿プロスペロ・サンタクローチェ(Prospero Santacroce)の命でオッタヴィアーノ・マスケリーノ(Ottaviano Mascherino)設計。枢機卿が亡くなった後、1591年にペトリニャーニ・ディ・アメリア(Petrignani di Amelia)へ渡った。そして1603 年にモンテ・ディ・ピエタ(Monte di Pietà)。拡張・改修時にカルロ・マデルノフランチェスコ・ボッロミーニの設計。

現在見られるのは17~18世紀の、トレビの泉も設計した建築家ニッコロ・サルヴィ設計。マニエリズム様式。

建物右側の礼拝堂はその時に作られたもの。 礼拝堂修復はデ・ロッシ。 ビッザッケリ(Bizzaccheri)も参加。現在見られるのは18世紀前半のバロック装飾。

ウルバヌス8世の時代から1730年の間に多くのアーティスト

Breccioli, Peparelli や、裏の教会のファサードの建設もしらNicola Salviなどが参加。

建物真ん中部分の窓や入り口にアーキトレーブと、紋章と手を広げてるキリストとファルネーゼ家の紋章、碑文などは、マデルノ作

碑文には

 "CLEMENS VIII PONT MAX MONTEM PIETATIS PAUPERUM COMMODO INSTITUTUM NE CRESCENTIS OPERIS AUGUMENTUM LOCI PRAEPEDIRET ANGUSTIA EX AEDIBUS A SIXTO V.P.M. COEMPTIS IN HAS AMPLIORES TRANSTULIT ET BENEFICIIS AUXIT ANNO SAL MDCIIII PONTIF XIII PETRO CARDINALI ALDOBRANDINO"

最高位教皇クレメンス8世は、活動の拡大にともない敷地が狭くなったため、貧しい人々のために設立されたモンテ・ディ・ピエタを教皇シクストス5世が購入した場所(コロナリ通りにある)から移した。キリスト教の救いの年1604年、ピエトロ・アルドブランディーニ枢機卿の保護下で、13番目の教皇が、より広くより大きな利益に恵まれる



★ 伝説の時計とボッロミーニの鐘楼

建物ファサードの左側に帆型の時計がある。

これには伝説があり "あなた方が私たちの望む取引をしないので、 モンテの時計はいつも狂ってる(Per non esser state a nostre patte / Orologio del Monte sempre matte)"  と18世紀までファサードに書いてあり、取引で受け取った報酬に満足していない場合、時計の針をワザと動かしていた、というもの。現在も時計は機能していない。

鐘楼は、フランチェスコ・ボッロミーニ作。


★ 公営質屋前のカルロ・マデルノの噴水 

モンテ・ディ・ピエタの建物に設置している噴水(Fontana del Monte di Pietà)は、17世紀にボルゲーゼ家のパウルス5世カルロ・マデルノに依頼した。

ボルゲーゼ家のシンボルの鷲と貝、マスケローネの隣にはボルゲーゼ家の紋章にも使われている2匹のドラゴン。

この建物はローマ人から冗談で、頼らなければ生きていけない人々に高く要求する"不敬虔の山(Monte d'Empietà)"と呼ばれていた。

★ モンテのアーチ L'arco del Monte 

アルコ・デル・モンテ通りにあるアーチ。右の建物は "偉大なるバルベリーニの家 Casa grande Barberini"。ウルバヌス8世として教皇に選出される前のマッフェオ・バルベリーニ邸。1768年に公営質屋とをアーチ"Arco del Monte"でつなげられた。現在は高校として使われている。

広場側。



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