【禁煙】自由の象徴だった?
2016.12.24 05:00
タバコを吸うことに不自由さを特に感じ始めたのは、神奈川県の条例で、ファミレス等で分煙が義務付けられ、分煙設備が設置された頃で、それまでは、希望をすれば、子供がいても喫煙できる場所にも通してくれていたのが、子供がいれば、喫煙できる方には通してくれなくなった頃からである。
今となっては、副流煙のことを考えれば、当たり前だとも思っているし、当時の無知を我が子に対して詫びなければならないことでもある。
その昔、思春期において喫煙は、大人の仲間入りを暗示したものとも思えるもので、子供であることの制約から自由になることを意味していたように思う。
そう我々の世代においては自由の象徴であったのだ。
しかしである。喫煙は第三者への迷惑を考え、あちこちに喫煙をここでしか許可されないスペース、喫煙所で吸うことを義務付けられ、ファミレス等では子供がいれば原則禁止されてしまっているのである。
このような場所が、どんどん増えていったのである。
これは不自由この上なく、自由の象徴とは言えるものではなくなっているだろう。
残念ながら、喫煙はどこかに集められてでしか行うことができず、アウトロー的ヒロイズムも成立しなくなっているのである。
喫煙は自由であるが、喫煙することには不自由さを伴っている。
このため喫煙は自由の象徴にはもうなれないのであろう。
良いクリスマスをお迎えください。
メリークリスマス。