温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第71回】 河合隼雄『中空構造日本の深層』(中公文庫,1999年)
「うそは常備薬、真実は劇薬」なる「名言」を残したのは心理学者で文化庁長官をつとめて2007年に逝去した河合隼雄氏だ(以後、河合(敬称略)と呼ぶ)。うそを許容しなかったカントが聞いたら青筋立てて反論しそうなこの「名言」も、河合の歩みを考えれば一つの諦観のようにも思えるのだ。1928年(昭和3年)に生まれた河合は、幼いときから死というものに繊細敏感であり、理論理屈をこねまわすのを好む子供だった。有体にいえば可愛げのない子供だったということになる。思春期に戦争に向かいゆく日本の空気に触れ、軍靴の響きとともに愛国教育を受けたことで、河合はそこにつよい嫌悪感を覚えて日本文化自体を忌避するようになったという。そして、その反動から西洋の文学、思想、芸術に染まり、心理学といった学問に目覚めていくのだ。フロイトなどに始まり、後に米国やスイスに留学し、ユングの心理学を学びゆく。ただ、帰国後に結局のところ外国で学んだ心理学をそのまま日本で適用していくことは無理筋だとの思いに至り、日本文化へと回帰してゆくのだ。
「中空構造日本の深層」なる作品が中公文庫から出版されている。目次の「Ⅰ」は「神話的知の復権」、「『古事記』神話における中空構造」、「中空構造日本の危機」、3つの小論で構成されているのだが、これらだけでも読んでみると色々と考える糧を与えてくれる。よく知られている物語だが、イザナギが黄泉の国に行ってしまったイザナミを訪れ、その変わり果てた姿に驚いて急ぎ戻り、そして三貴子、アマテラス、ツクヨミ、スサノオを生んだ。アマテラスとスサノオについては色々と語られるが、ところがツクヨミについては殆ど何も言われないのだ。
「・・ここに誰しも疑問に思うのは、イザナキの言葉に示されるように、明らかに同等の重みをもって出現した三神のうち、ツクヨミに関する物語が、『古事記』にほとんど現われないということである。『日本書記』にはツクヨミがアマテラスの命を受けて、ウケモチの神を訪れ、その非礼を怒って殺害した神話が存在している。しかし、これに類似の話が『古事記』においては、スサノヲのこととして語られており、『古事記』に関する限り、ツクヨミの話は皆無と言ってよいだろう。『日本書記』の話を一応取りあげるとしても、「月神」に関する神話は日本の神話体系のなかで、極めて貧弱と言わねばならない。・・」(『古事記』神話における中空構造)
河合はこの問題にこだわり、名前はあってもなんら役割が与えられない、無為の存在を神話における「中空性」と呼ぶのだ。そして、シンプルに「日本神話の中心は、空であり無である」とも表現して、これが日本人の思想、宗教、社会構造の基盤になっているとした。なお、ツクヨミ以外にも『古事記』には名前は登場してもやはり役割についてはまったく言及されないパターンが何度もある。ここから河合は西洋と日本の物事の捉え方の違いへと入っていく。西洋が矛盾を良しとせずに論理的な整合性を有する体系を好み、その過程において矛盾する要素は外へと排除する傾向を有して、そのために戦いをも辞さない「統合の論理」とするならば、日本のそれは「均衡の論理」だとする。
「中心が空であることは、善悪、正邪の判断を相対化する。統合を行うためには、統合に必要な原理や力を必要とし、絶対化された中心は、相容れぬものを周辺部に追いやってしまうのである。空を中心とするとき、統合するものを決定すべき、決定的な戦いを避けることができる。それは対立するものの共存を許すモデルである」(同)
もちろん、この河合がいう中空性についてはいろいろな意見や評価があって然るべきだ。そして、論理で「空」となるものを、そのままの「空」で良いのかといった議論もあるだろう。ただ、私としては河合が幼い頃に日本文化を忌避して西洋に染まり、論理の力でもって徹底的に物事を炙り出そうと努めに努め、その難しさを知った果てに「無為」なる存在を許容してしまうことの凄みに触れたときの感動は大変に深かったに違いないと想像している。
なお、蛇足ながら少しだけアプローチを変えて、戦略という視座から私的に勝手に論ずると、「中空性」とはターゲットにしにくいのだ。論理や言葉の力でもって明確に掌握できるものは、場合によってはそこを「重心」として攻撃目標にしやすいのだが、論理や言葉で掌握不可能となれば、そもそも明確な共有ができずに目標にしにくいのだ。このことを強みと思うか、弱みと思うか、そしてどう活かすかは戦略家の器量次第とはなるだろう。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。