Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

本当の自分

2018.06.04 12:54

Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事「統合の中で起こる分離の時代」

統合の中における分離が本格化する時代。

似ているようで似ていないものは、やはり同じ方向性には進めません。

これまで曖昧のままでも、まだ一緒にいられたものが、もう本格的に分離していく時代となります。特に顕著となってくるのが、人間関係。

真の統合・調和は、水でも油でもすべてが無理くり混じり合うのではなく、水は水、油は油で、本来の定位置にそれぞれが落ち着き、逆に無理なく自然に分離していくことが、全体としての調和になります。

「液体」という大きなくくりでは、水と油は同じ部類、仲間であったかもしれませんが、

本来は混じり合わない相反する存在。

混沌の時代だったこれまでは、なんとか表面的には混じり合って誤魔化されていましたが、

これから先は混沌も落ち着き、ゆっくりゆっくり、違うものは違うもので分離して、

同じものは同じもので融合していきます。

どっちが良し悪しとかはなく、どっちも本来のあるべき姿、進むべき方向性へと分かれていくので、仮に人間関係の分裂にしろ、恋人や家族との別れにしろ、すべて必要・必然・双方にとっても、全体にとってもベストな出来事として起こっています。

分離から統合の時代。

これまで陰陽バラバラだったものが1つとなって中庸となる。

そのフレーズだけに惑わされてしまうと、どこかで無理をしてでも調和や統合を目指そうとしてしまいます。

「これからは統合の時代、元々苦手なあの人とも、自分が頑張って調和的に一緒にやっていかないと・・・」

誰かが無理をしている時点で、どんなに自我の領域、頭で頑張って調和を図ろうとしても、

ますます本音が表に出る時代では、魂は頭と反して拒絶していきます。

こうした自己の不一致は、調和や統合どころか、ますます不調和を生み出します。

もう、違うものはどんなに頑張っても違うものだし、ダメなものはダメ。

無理をすることをやめるのが、自分にとっても宇宙(全体)にとっての調和となり、真の統合へと進みます。統合の中における、分離が本格化する2021年。

自分に嘘をついていた人は、ますます自己の不一致とともに生きづらい時代となるかもしれませんが、

自分に正直に生きていた人は、どんどん生きやすい時代となるかもしれません。

ますます気の合う人たちが出会い、集い、共に歩んでいく時代であり、気の合わない人たちは離れ、自然に棲み分けがされていきます。

自分が離れたにしろ、相手が離れたにしろ、どっちが正しくも間違いもなく、離れた人は、また同じ周波数の人たちが集う世界に引き寄せられ、その世界では「待っていたよ」と歓迎されます。

みんな誰もがパズルピースのひと欠片であり、収まるべきところに収まって、みんなで全体を作っていきます。

いよいよ本来の位置に戻る時期が、以前よりも増してやってきたのだと思います。

二極化の時代、魂が清らかな人は、同じ波動を持った人同士が繋がって、どこに行こうが、誰と付き合おうが、何をしようとも、自分が居心地がよく、自分に嘘をつかない生き方を選択するのが大事なのかなと・・・。

人は人、私は私、その人はその人の生き方があり、70億人いれば、70億人の生き方や価値観があります。「それでいいじゃん」

そう70億人が言える時代へと近づいているように思えます。


Facebook・清水 友邦さん投稿記事「日本のルネサンス」

日本のルネサンス

6世紀の初めに菩提達磨(ボーディダルマ)がインドから中国に入ると禅は中国全土に広まりました。

12世紀以降、宋が遊牧民の侵入を受けると、中国の禅僧は相次いで海を超えて日本に渡ってきました。

鎌倉時代の建長寺の住持はほとんどが中国人だったと言われています。

禅を日本に根付かせる為に中国の禅を日本化させ禅を全国に広めたのが夢窓疎石(1275〜1351)です。

夢窓疎石(むそうそせき)は密教僧でしたが高僧である師が死に直面するときに醜態を晒したことで不信感を持ってしまいました。

悩んだ疎石はある日、禅寺に連れて行かれ、そこで達磨大師(だるまだいし)が描かれた絵を渡される夢を見ました。

その夢に現れた中国の禅僧疎山光仁(そざん こうにん)と石頭希遷(せきとう きせん)の名前から疎石と自ら名付けて禅僧となったのです。

禅の法脈

達磨→六祖慧能→青原行思(せいげん ぎょうし)→石頭希遷(せきとう きせん)→薬山惟儼(やくさん・いげん)→雲巌曇晟(うんがん・どんじょう)→洞山良价(とうざん りょうかい)→疎山光仁(そざん こうにん)

宋の時代は禅院が国の支配下に置かれ、僧侶も官僚化して公案を解釈した文献が公務員(科挙)試験の教材になっていました。

そのような、禅文献の歴史書や批評や解釈を誦じて理解しようとする公案禅を文字禅と言います。

北宋末期の大慧宗杲(だいえ そうこう)は臨済宗の修行法となる特定の一つの公案に全身全霊集中してマインドの壁を突破する看話禅(かんなぜん)を提唱しました。大慧宗杲(だいえ そうこう)には文字禅を代表する碧巌録の板木を焼却したという話が伝わっています。

公案禅には二種類あって文字禅と看話禅があります。そして看話禅をつかわないのが黙照禅です。曹洞宗は黙照禅です。

夢窓疎石は公案について「夢中問答集」で次の様に語っています。

「唐の時代は師の方から自分の言葉を公案として参究させるようなことはしなかった。ところが宋の時代以降の人間は前世からの修行の蓄積も薄ければ、道を志す心も浅い。師の一言を聞くと理屈であて推量して悟ったつもりになっている。頭の鈍いものはあきらめるしかない。これをあわれんで大慧以降、公案の禅の参究の方便が設けられるようになったのだ。」

そして公案を次のように話しています。

「禅の公案は極楽往生や成仏するためにあるわけではない。世間の良いことや仏門の道理でもない。いかなる感情も思考もおよばない故に公案と呼ぶのだ。

これを鉄饅頭にたとえられるのは、歯が立たず、味もなく、いかなる意味も引き出すことができないからだ。

思考で歯が立たない鉄饅頭を噛んでいるうちに、必ず噛み砕かれる時がくる。その時に鉄饅頭を噛むことが何かを得るためではないということが知られるだろう。」

歴代の禅師は鉄饅頭を噛み破って大悟したのです。

夢窓 疎石(むそう そせき)は鎌倉の北条高時、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇、その後醍醐天皇と戦い室町幕府を開いた足利尊氏と敵味方を超えて誰からも国師として尊敬されました。

14世紀のイタリアでルネサンスが興っていた頃、日本でもルネッサンスが起きていました。

武士が中心になる鎌倉時代まで日本の文化は貴族や公家が中心でした。

畳の和室や書院作り、枯山水の庭、茶道、懐石料理など、これぞ日本文化といわれる新しい伝統が室町時代に花開きました。

その象徴的な場所が夢窓疎石(1275〜1351)が開いた京都天竜寺です。

天竜寺の曹源池庭園(そうげんちていえん)に、鯉が昇れば竜になるという中国の伝説の滝、龍門の滝を表す石組みに鯉の形になぞらえた苔むした鯉魚石(りぎょせき)が配されています。

水を使わずに滝を表現した枯山水は天竜寺が初めてです。

枯山水は夢窓疎石の発明といわれています。

夢窓疎石国師と足利直義公との問答をまとめた『夢中問答集』五十七段の中に、次の一文があります。

「山水(さんずい、この場合は庭)には得失なし。得失は人の心にあり」

夢窓疎石は天然自然が持っている「変化の中の普遍」を感得するために、修行のための庭を作ったといわれています。

損も徳もない変わることのない普遍的な心、これこそがマインドを超えた本当の自分です。

天龍寺で修行をする雲水たちは夜になると曹源池の辺で夜坐(坐禅)を組んでいるそうです。

天龍寺の庭園は変わることのない本当の自分を発見する庭なのです。

「人は見かけによらぬもの」

バンコクのチャイナタウンに1238年に建立されたトライ・ミット寺院があります。

1955年のこと、バンコク市内の廃寺にうち捨てられていた漆喰の仏像を移動する為にロープで吊り上げたところ、高さ3メートル、全重量5.5トンもあったのでロープが切れて落下して漆喰が剥がれてしまいました。

ところが漆喰が剥がれてしまった箇所が金色に輝いていたので全部剥がしてみると見事な純金の黄金仏像が現れたのです。

700年前のタイは戦争が絶えないので漆喰を塗って略奪を防いだのです。

トライ・ミット寺院は僧侶もいない廃寺でしたが世界最大の黄金仏像が見つかったおかげで今では世界中から観光客が訪れる名刹となりました。

以前、「清水さんは自我のメッキを剥がす職人のようですね」と言われたことがあります。

私が剝がしているわけでありませんが、確かに呼吸道のセッションが終わって帰る時に思考が静かになった人はリラックスして顔が一様に光輝きます。本人も覆っていたベールが取れたようだと語ります。

本当の自分は光に満ちているのですが、地上界に生まれ落ちると思考が創りだす自我に覆われてしまい本来の自分を忘れてしまうのです。

自我メッキを剥がすのは簡単です。思考が自分ではないことに本人が気がつけばいいのです。しかし、ものごごろついてからずーっと思考と一体化しているので思考が自分ではないと夢にも思いません。周りにいる家族も友人も同じ状態でなので気がつきません。

「誰も私の事に関心を持ってくれない。何をやってもうまくいかない。自分は価値がない。私の人生は光が当たらない。」と思っている人はトライ・ミット寺院の黄金仏像のように漆喰で覆ってしまっているのです。

怪我、病気、失敗、人間関係のトラブル、金銭のトラブル、子育て、多忙による心身の過労、左遷、倒産、失業、恋人の浮気、離婚、親しい人との別離は自我がゆさぶられるので自我のメッキが剥がれて純金の本質に気がつくチャンスです。

究極の事故ともいうべきアイデンティティ・クライシスが起きて自我メッキが剥がれると一瞥が起きます。

自我は修復能力が強いので直ぐにまた自我で覆ってしまいますが、それでも一度剥がれて黄金の光を見てしまうと気がつきやすくなるので、そこから探求の旅が始まります。

事故が起きる前に一度、自分から進んで自発的に自我メッキを剥がして自分の中身を確認してはいかがでしょうか。

Facebook・竹元 久了さん投稿記事 🔵「和」の精神~共存共栄で自然と同化する~

🌺日本の自然の中で「和」の精神は発達した

 「和」の精神は、日本列島に移住した人々を融合させ、日本民族を形成した原動力でした。この世界にもユニークな精神は、日本の自然の中で発達したものと言えるでしょう。

 日本の気候は、温暖・湿潤なモンスーン型です。日本列島は四季の変化に富み、雨量が多く、照葉樹林を中心とする森林に覆われています。海・山の食糧が豊かで、猛獣が少なく、大変生活しやすい自然環境です。こうした風土が長年のうちに人々に影響し、「和」を好む性格が形成されたと考えられます。

 この性格は、人間だけではなく、日本の動物にも見られる特徴です。例えば、日本蜜蜂の群れの中に西欧蜜蜂の一群を放すと、日本蜜蜂は平気で西欧蜜蜂と一緒に同じ蜜を集めて、共存共栄します。しかし、西欧蜜蜂の一群の中に日本蜜蜂の一群を入れると、西欧蜜蜂は襲いかかって日本蜜蜂を全滅させてしまいます。日本の風土は温暖・湿潤で花が多く、蜜を集める対象が豊かです。したがって、蜜蜂は新来者とも共存共栄ができます。ヨーロッパの場合は花が少ないので、共存していたら、蜜が足りなくなって冬が越せなくなってしまいます。同時に、熊蜂など天敵がひじょうに多いので、用心が要り、攻撃的です。日本では天敵が少なく、受容的です。こうした風土の違いが、日本の蜜蜂の性格を温和にしているのでしょう。

 日本文化に深い理解を示したアンドレ・マルローは、「日本以外の美術は必ず何らかの形で闘争が表れているが、日本美術だけは闘争を表していない」と指摘しています。マルローの研究家・竹本忠雄氏は、この違いを「大陸的~コンチネンタル」と「非大陸的~ノンコンチネンタル」の違いと表現しています。竹本氏は「日本だけがノンコンチネンタルなのです。コンチネンタルなものの考え方の特徴は、ものを対立的にとらえることです。それは西洋に限らず日本以外の国はほとんどそうである。一方、日本人は対立よりは和合をという国民性なのです」と言っています。(1)

 「非大陸的~ノンコンチネンタル」とは、海洋的ということです。日本民族の性格への自然の影響では、海洋の存在が見逃せません。日本は、四方を海に囲まれた島国であり、太平洋、日本海、東シナ海などに全体を包まれています。このことが、日本列島のユーラシア大陸とは異なる自然環境となっています。陸地が固定的であるのに対し、海は、常に躍動して変化に富んでいます。船に乗るとわかるように、海では波が休むことなく上下動し、潮流が刻々と変化して流動しています。また、海は生命発生の場所であり、海には生命のエネルギーがみなぎっているのです。特に日本列島付近では、暖流と寒流がぶつかりあい、豊かな漁場が生み出されています。ユーラシア大陸から日本列島に移住してきた諸民族は、こうした海洋の影響を受け、大陸型の性格から、海洋型の明るく、陽気で、平和的な性格に変化していったと考えられます。

 このように、日本の自然は人間の性格に影響を与え、独自の民族性を育んできました。日本精神の特徴は、「和」の精神と言われるように、共存共栄・大調和の精神です。この精神は、今日の地球で求められているものです。地球は、人類にとってかけがえのない星であり、地球という限られた環境で様々な人種・民族・国民が、一緒に暮らしていくためには、戦争や対立ではなく、共存共栄していかなければなりません。私たち日本人は、世界にもユニークな精神的特徴を発揮し、世界の平和と発展に貢献したいものです。