三度時地獄を覗いた男の我が闘病記。
★幼年時代を除き、もの心が付いて以来の私(豊永高明)は、『健康自慢』、『快眠』、『快食』、『快便』、『薬嫌い』、『医者要らず』で、『病知らずで、』、過ごしてきた。
~長じても、病で会社を休んだ記憶はない~
一度だけ病院に行ったのは、水虫で靴が履けずに困ったので、近くの『徳洲会病院』に一度行っただけである。
私の会社は運輸倉庫である。御存知の通り運送業は昼夜の別はない。
人々の眠る夜中でも、長距離輸送のトラックは轟音を立てながら国道を走っている。
従って我々管理部門の勤務時間は長くなる。
朝の7時から晩の8時は常識で、お客の接待等で午前様もしばしばあって、靴の履きっぱなしで水虫は当然である。
★「嘘を付け!自分の遊びでも行っている癖に!」と、誰かに怒られそうだが、「ま~ 偶にはね、だけど家内にだけは内緒だぜ」、という事で宜しくお願いするよ。
~件の話は会社の嘱託医に頼んだ~
嘱託医は医師と私と祇園町での飲み友達である。
従って頼み安いので、「水虫は運送業の職業病みたいなもので症状は同じで、薬も同じだと思うので、纏めて会社の安全衛生の係りの者に管理せせるので、纏めてして会社に支給して欲しいのですが」、と頼んだ。
~あなたの日常生活は存じています~
件の医師は薬等要りません。
対策に、件の主治医は、会社の事務所を、フローリングの床張に直せ、と命じた。
★早速、大工の職人に頼んで床を12ミリの合板を張ってパンチカーペットを張った。
履物をスリッパに返る手間はいるが、水虫は解消し、女子事務員の評判も上々であった。
★会社の嘱託医は、主治医というより、祇園町での『飲み友達であった』。
始めは医師とは知らず、隣のボックスの客であった。
聞くともなく聞こえてくる会話は何となく上品で、美女と戯れる姿にも嫌みがない。
歌っている歌も私等と感性が合う。
~行き違いで会えば会釈をする間でなった~
★馴染になったある日の事、ひとりの親友と言える者と、ぶらりと祇園の件の店に寄った。
生憎とボックス席に空きがない。二人だから、カウンターで充分だ、カウンターに席を取ると、馴染のママが、同じ二人に席を指さし、「御一緒しません?」、と言う。
見ると、件の客だ。私も関心を持っていた相手で「否やはない」
「お邪魔します、」と席に付く前に「何だ!警視、こんな所に、」。
「院長じゃない、」と、連れの二人はお互い旧知の中と言うより同僚だった。
件の客は警察病院の院長で、私の連れは警察で病院を管理する厚生課長で京都府警の警視である。
★ママがそんな事だと思って御一緒して頂いたのです。以後三人は私の人生に大きな影響を与える事になる人物なので御記憶に留めて頂きた。
★医者とパチンコ屋は、儲かる商売の筆頭だ、と言われた時代である。
「何だ、貴方はお医者様か?」。ママに向って「今日から飲み代の付けは院長持ちだ、だってお医者は儲かるんだ、」の遣り取りで、付き合いが始まった。
厚生課長の警視は定年後に、我が社の人事担当に常務を勤事になる御方である。
★警察病院は警察官の健康管理の為に創ったが、警察官は身体強健が採用条件の第一であって病人は少ない。
一般患者も見るが警察病院の名前では、お客は少なくも少なく赤字続きであって経営は苦しい、の事であった。
~院長は、病院の購入品は、「二割も値切っている、」~
★そこから話が弾み、そのクラブの常連となって、しばしは合って、民間会社の経営手法の説明をした。
★資材、薬の購入法に、一般に設定した価格に対し、「半値,八掛け、二割引き」、つまり、原価は定価の三分の一であり、これを『三つ折れ』という。
つまり、一般に資材部の買い付けは、六割引きの、四割での購入も可能である事等の慣習も教え、何でも話し合える中になった。
客が少ない、と言う事で、我が社の産業医となって頂いた。
★その後は、年二度の定期検査にレント験検査のバスが来る、院長が主治医として同乗して来ようになって、「祇園町の方も、真面目に出勤していますか?」、「ハイ、程々に?」。
だが、会社を休まず出勤する私に向って、「豊永サン、何で、そんなに病気をしないんですか?」と、問われて、
「私は医者に罹りません、薬も飲みません、だから病気も私に近づかないんじゃないのでは? だけど、死亡診断書だけはお願いしますよ」。
★「そりゃ~無理だ!後任の院長に頼み見なさい、」と大笑いした事もあった。
因みに主治医は私より二歳も上であり、そんな付き合いだった。
~こんな健康自慢の私も、三度も死にそこなっている~
一回目は、70歳の誕生日三日前に、会社のトイレを出た,とたんに、前身の力がスーと抜け、トイレの前に座り込んだ。
何かに掴まって立とうとするが、掴まる手に力がはいらない。
気の付いた社員が救急車を呼んで総合病院の京都療養センターに、意識不明の状態で運ばれた。診断の結果は脳梗塞と診断され半年間の入院を余儀なくされた。
★意識のない私の眼の前に、大きな川が流れて、渡し船が止まっている。
向こう岸では美女らしき人が手招きをしているので、何気なく船に乗ると船は動きだし、対岸に付いた。気が付くと赤鬼の船頭サンに、船賃を六文請求された。
ポケットを探っても一銭もない。
鬼の船頭サンは、相方に相談している。
私を偉そうにしている誰か前に連れて行って、「この男、無賃乗船です。如何しましょう?」と聞いている。
★良く見ると紛れもない閻魔大王の御殿の表示が見える。
「ここは地獄へ行くにか?」、「極楽に送るのか?」の判断する裁判所だが、「無賃乗船できた奴の心証が悪い。
この男は、人を殺したことも,女を騙した事などは事等ない」ので地獄に落とされては可哀そうであ。
「娑婆に帰って六文を稼いで出直せ!」、と言う事で元の岸に戻されて、気が付いたら病院のベットの上だった。
~これが一回目である~
★二度目は、脳梗塞は収まり、種々の検査で腎不全と診断され、入退院を繰り返していた。
入院中は、不味い病院食、決まった薬の服用をしていると、血液検査の数値は良くなる。
退院して普通の生活に戻ると、また悪化する。
こんな生活を二~三度繰り返す。数値が良くなっても、緊張感は持続しない。
読書、書き物は30分で疲れてしまい、何事も続かない。
★古希も済んでから暫くは立。もう充分に生きた、仕事もひと一倍にやって満足だ。
私の好物は鰻重である。
主治医に、こんな事を繰り返して生きても、仕方がない。「この世の名残に、極上の鰻重を腹一杯食って、あの世とやらに旅だとうと思うんですが」、と問うと。
★医師は「慌てなさんな、あなたの臓器の腎臓以外は健全です。腎臓の治療方法はないが、
『人口透析』という方法がある。
体内の血液を抜き、腎臓機能を持った機械で洗浄して、体内に戻す、等の説明をして頂き、実際に透析をしている現場も見学をした。
最早普通の生活には戻れないが、一週間に三度の透析をすれば、平均寿命は大丈夫らしい。
脳梗塞は収まったが、言語障害に半身不随で、右手は不自由で文字が書けない。
そこで左手でパソコンを打つ事を覚え、些か物書きの面白さも知った。
入院治療の徒然に書貯めた原稿も多い。
何よりの特徴は身動きもままならない体、完全に社会の外から社会を見た論評ができる事である。
書き溜めた原稿を持って、何軒かの出版社を回ってみたが、「面白い話でも、無名の著者の本は売れません。」で断られる。
★しかし、八年前に無理やりに頼み込んで出版した、「我が人生に、悔いあり」は、出版社は千部位で様子を見ましょう、というのを、500部は私が責任を持つ、初版は1500部となった。
10月25日の発売が11月末には欠品続出。
慌てった出版社が増版3500部の手配をしたが、年末行事に追われて、1月25日の増版となり、二千冊は売れたが、資金繰りの失敗で、出版社が倒産する。
すると即日本屋の店頭から「我が人生に、悔いあり」は消えた。
★幾ら頼んでも「倒産した出版社の本は売りません」、である。
私の心に経営者魂がムラムラと沸き起こった。良し、俺が出版社を造ってやる。と、『新京都文庫』を設立し、「我が人生に、悔いあり」、「我が人生に、悔いあり」の第二巻、『官僚眼用論』、『何度でも、視点を変えて見よう』の四冊を新幹線の改札の中の書店の持って行って、
『ワンコイン文庫』で、キオスクの置いてくれ、と頼んだ所、店長が、
「駅中は忙しい、500円という価格も買い易い。シリーズで、出せば隠れたヒット商品になるかも知れない」。
★でも、流通は『日版、東販』でなければ、決済ができない」。と、断られた。
流石に私も諦め、静かに余生を送る気になった。
★昨年の三月眼の容態が悪化し、救急車で病院に運ばれた。意識は漏ろう、自動車のヘットライトを正面から見た用の真っ白だ。
「あ~ 俺はこうして死んで行くのか?」と、朦朧とした意識で思った。
入院多手続きをしている家内を呼び「長い間、世話になったな、」と遺言めいた事を言ったらしいと、今でも笑い話のネタにされている。
だが、医学の進歩か、関係者の努力は、秋には無事退院。各種検査の結果、体に異常は見つかりません。どうぞ御退院気ださい、寿命の事、人知では解りませんが、平均余命位は生きるでしょう。である。これで三度目も地獄の底を除いている。
~リハビリに励む、今日此の頃であるので、金(資本)は無いが時間はある~
病治療の徒然に人類学者『増田義郎先生』の『アステカとインカ黄金帝国の滅亡』、『物語ラテン・アメリカの歴史』、『黄金の世界史』、『インカ帝国探検記』、『略奪の海カリブ海』、『古代アステカ王国』、『メキシコ革命』、等々10冊以上は読んだが、一度読んだ位で分かる筈もなない。
唯、我々が学校で習った、「鉄の衣装で馬に乗り、鉄砲を持ったスペイン兵が数百名がインカ帝国の宮殿に乱入、宮殿内に黄金の飾り物の多さに、金鉱山が近くにあると気が付き、国王を捉えて拷問、金鉱山を発見、住民を捉え、奴隷として掘り出した金をスペインに持ち帰って
縁あって知り合った『啓文社の漆原社長は、早稲田に政経の学生時代に、私の『官僚眼用論』、『何度でも、視点を変えて見よう』を校正して頂いた旧知の中である。
話し合う内に、日本やアジアの真実の近・現代史、白人国家が有色人種国家を植民地とし、住民を奴隷としてこき使っている。
それを知らせるのは、我々昭和時代を生きた者の責務だと感じ、
『駆け足で読む近現代史』は書き終えて、何社かの出版社に持ち込んだが、無名の著者の書いた本は内容が面白いだけででは売れません。と断れました。
けど、折角書いたものであるのである。
日書き続けたらどんなものになるか、試して見たいと思うので御意見、ご感想をコメントで頂き、
他、数冊の上梓の企画をしていますので、ご購読を宜しくお願い致します。
了) 豊永高明 拝