乙女の祈り(1994)
ケイト・ウィンスレットのデビュー作として有名ですが、監督もロード・オブ・ザ・リングのピーター・ジャクソン監督でして、みんな出世して何よりでしたなあ…と遠い目になること間違いなし!
さて私。これ20年ぶりの再見となりましたが…。
内容はものの見事にすっぱり忘れておりましたの。
ですが。
ケイトさんの相方ポーリーンのお母様が登場したときに「!!!!!」と電撃的に思い出しまして、ああああこれ悲しいやつ!悲しい!切ない!可哀そう…。って一気に感情が蘇りました。それくらい衝撃的な結末だったのやね。
また母の人(Sarah Pierse さん)が「人がよさそう」というか「素朴で悪い人に思えない」だけに、もうほんとに胸がキューーーっと締め付けられるような気持ちになります。
毒親なのはケイトさん一家のほうなのにねえ…。
映画そのものの内容ですが、かなり目まぐるしく音楽も喧しい映画であります。
また個人的にですが、ファンタジーや空想の部分と現実の部分の区別が付けづらく「これってどっち??」みたいに何度も戸惑うことがありました。空想少女 2名の内容なのだからそもそも実際にも区別が付いていないのだ、という表現なのでしょうけど、これは自分まで引き込まれたらやばいぞ…という感触を持ちました。
さすがロード・オブ・ザ・リングの監督ですので、そんな空想部分の特殊効果は(当時として)なかなか凝っているとは思います。
この映画の最大のオチは「実際の事件が元ネタである」というところです。1950年代の、しかもニュージーランドですから、かなりな保守的であったと思われるものの、それにしても、今だったらこんな世界で誰も生きていけないだろう、というような。そんな社会です。そんな社会で追い詰められて、このような顛末になったのは二人に同情できる部分もあります。また前述したとおりジュリエットさん両親がかなりの毒親で、その責任は多大であると言わざるを得ないです。
当時としても話題になったし、この映画でも取り上げられていますが、二人が同性愛だったのか?という点については、今の目で見ると、さほど気にならないんですね。別にどっちでもいいし、ありがちだし。みたいに普通に受け入れてしまった。そこだけは月日というか社会と感覚の進歩を感じました。多様性が認められてゆく時代はよいものです。