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この道往けば act2

岐阜遠征 烏頭坂

2021.06.08 07:48

烏頭坂の戦い

この合戦をご存じの方は、けっこう日本史が好きな方でしょう。

一般的には別の呼ばれ方をすることが多いこの戦い。

それは「島津の退き口」、関ケ原の合戦において壮絶な退却戦を演じた薩摩島津家。

その舞台こそが、今回ご紹介するこの峠だったというわけです。


烏頭坂(うとうざか)

磔者坂のように峠としてではない部分で有名になっているこの峠。

今回は峠としても触れていってみたいと思います。

レポスタート!

さて、ここは岐阜県大垣市。

とはいっても旧上石津町の町域です。

大垣市の飛び地となっていて、上石津自治区として機能しています。

そして現在走っているのは安定の国道365号、この辺りは勝地峠等、関ケ原の合戦のその他の舞台となった峠も多く存在しています。

その国道365号から関ケ原方面に曲がるのが今回の道。

立派な看板が立っています。

これは・・・もしかして旧道なのか?

地図を見たときはそんな意識はさらさらありませんでしたが、曲がってすぐにその雰囲気を感じました。

これはもしかしたら旧道というより、単に街道なのでしょう。

かつての街道が国道指定されないことなどざらにあります。

ここもその一つなのでしょうか。

翻る島津十字。

ここが関ケ原の合戦時、島津義弘が陣を敷いた場所。

こう見ると合戦の舞台となった場所からは少し離れていたんですね。

ここで名神高速道を潜ります。

この上もたまに走りますが、この道はさすがに意識したことないな。

上から下の道は見にくいもんですが。

烏頭坂、着。

標高104mという情報がありますが、そんな低いか疑問です。

なんせここは岐阜県、本州中央部なのですから。

峠はちょうど不破郡関ケ原町との市境になっています。

ここには最近ドリフターズという漫画の主人公になり話題となっている島津豊久公の石碑があります。

歴史漫画とファンタジーの融合で、個人的にはとても好き。

九里半街道(くりはんかいどう)

水坂峠有する同名の街道がありますが、全く別の街道です。

前者は今津湊(いまづみなと・高島市)と小浜湊(おばまみなと・福井県小浜市)を結ぶ38kmの道のり。

こちらは能州三湊(のうしゅうさんみなと・不破郡養老町)と米原湊(まいはらみなと・滋賀県米原市)を結ぶ街道。

どちらも琵琶湖の水運を活かす道だったという共通点がありますね。

ここで分かれ道が現れました。

近くの池から十九女別れ(つづらわかれ・仮称)と名付けましょう。

そしてここは明らかに古い道であろう左へ行きます。

石碑もいい感じですね。

直線なんだけど、なんか直線じゃないように見える道。

定規を使わずフリーハンドで書いた直線みたいな。

こういうのが街道のいいところですよね。

味が出てます。

関ケ原町の中心部に入ってきました。

このまま直進すると関ケ原駅に至りますが、今日はそこまでは向うつもりはありません。

ちなみに写真の高架は東海道新幹線です。

思ったより低いな・・・。

そして岐阜県道56号南濃関ケ原線(なんのうせきがはらせん・レポ未)にぶつかってこのレポを閉じたいと思います。

市境とはいえ、市街地に近いレポなので山道感は全くありませんでしたね。

ドライブのついでに寄る間隔にはいいかも。


この辺りは歴史ある峠がまだいくつもあります。

にっくきコロナが収まったらこの辺りをしっかり押さえていきたいなぁ、


以上、烏頭坂編