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真逆はかく語りき

適応障害

2016.12.26 15:00


前々から自覚があったわけだが、とうとう「適応障害です」と宣告された。


アスペルガー症候群もまずは自らがそうであることを受け入れることから始まると聞くが、実際難しいものがある。


今まで診断を受けなかったのは、適応障害であることを受け入れたくなかったからであり、「あなたは適応障害です」とあっさり言われても、理解することで精一杯だ。


そんなこんなで来月からカウンセリングが始まるらしい。


「らしい」、まだ現実に追いついてないのが私の現状だ。


適応障害、つまり、障害。


悪いのはまるで私だと言っているような病名。


「あなたは社会に適合できなかったんです」


そんなことは誰よりも一番わかっている。


生まれつき、人とは違っていて、大学時代はその個性で成績トップにまでなれた。


しかし、社会というスペースは私のような個性の塊には優しくない。


社会は個性を潰す魔の巣窟だ。


互いが互いの足を引っ張り合うような、出る杭は打ち合う世界こそ、社会だと私の眼には映っている。


だが、マイノリティがマジョリティに敵うはずもなく、私は潰され続けて今に至る。


私は大学時代から夢を持っている。


それは、理想論的ダイバーシティーだ。


私は人種や性別や思想などをすべて「アイデンティティー」として大きくまとめ、それを個性として捉えている。


「個性の尊重」と「個性の最大限発揮」こそ、私が社会で生き続ける唯一の目標である。


個性に適応した環境を与える、あるいは、どうすれば個性を最大限発揮できるかを周囲が一緒に考えてあげられる組織づくりをしたい。


絵空事だということもわかっている。


それでも、私が適応障害であったからこそ、私の経験があるからこそ、同じような境遇の人に同じ悩みや苦しみを感じてほしくはない。


でも、きっとこんなことを考えているから、適応障害になってしまったのかもしれない。


結局、解決方法が見当たらないのは、宣告前も今も一緒で「適応障害かもしれない」が「適応障害です」に変わっただけ。


適応障害だと宣告されることに何のメリットがあったのだろうか?


理解することと受け入れることは異なる。


「受け入れたとことで何かが変わるのか?」と思わざるをえない。


裏を返せば、私は「自分自身の環境すら変えられていないのに他人の環境を変えるなんてできないのではないか?」と不安と諦めを心のどこかで抱いている。


受け入れてしまえば、現実が襲いかかってくる。


先生に言われたが、「弱みを出すことも大事」というのが受け入れるということなのかもしれない。


軽い気持ちで今回のブログを書き始めたわけだが、心の整理をつけようとしているのだろう、支離滅裂ながらも正直に自分の考えを曝け出している。


適応障害と向き合うことに前向きになっている私がいる。


それだけでどうにかなる気がしてきた。


これから少しずつ心の整理をつけながら綴っていくことにする。