思い込みと運動
普段は手があがって正常だと思い込んでいます。
あがるのが当たり前だと思って何十年も生きてきてきているという前提がある訳です。
少なくとも脳の記憶は、そういう前提の元です。 そして急に手があがらない状態になると何が起こるでしょうか?
きっと無理やりあげようとすると思いが強くなると思います。これは当然の心理なので、誰しもそうなると思います。しかしこれが認識不足のはじまりです。
認識不足というのは過去の癖と現在の状況との解離です。現実は、手があがらない訳です。だからあがらないことを受け入れて、そこからどうするかということに切りかえなければなりません。
これが一番重要なことなのですが、そこに目を向ける人はいません。
これを如何に早く切りかえられるかが勝負なのだと思います。 その切替ができないと、必死であげようとしてしまいます。こうすることで代償運動は確定していきます。
代償運動を続ければ、肩甲骨も肘も手首も肋骨の筋肉も腰もやられます。無意味で必要のない動きですから当然そうなります。 それを調整すると僅かに動きやすくなります。そこで気づいてくれると治りが非常に早く、夜間痛がなくなっていきます。
もちろん、日常生活では、そうも言っていられないので、無理やり動かすことはあっても良いのです。しかし、自分と向き合った時に、どこまで動けるのかを知っていなくては認識はできません。
日常生活は、いわば世間体です。建前は動いているふりをしなければならないこともあります。自分と向き合った時は、動かないことをしっかり認識していることが重要なのです。
しっかり自分の動きを見つめ、どこまでしか動かないということを認識している必要がある訳です。
疾患は五十肩ですが、この肩の痛みから様々なことがわかります。社会と全く同じなんだと思ってしまいます。
命に別状はない、単なる肩の痛みですが、自分と社会との関係ともリンクしてくるのだと思うとあなどれません。
まずは認識していなければ、前には進まない。
何ができて、何ができないかを知っていなければならないのだと思います。