F.Chopin、ソランジュに未練があるフレデリック、そしてショパンの友人達は…
オーギュスト・クレサンジェによる
ジョルジュ・サンドの胸像から
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フレデリックは姉ルドヴィカへ書簡を書き進めるうちに自分の心がはっきり見えてきたのだ。『正直言って、私は行きたくありません、……もう充分です。』
ノアンへ行きたくない訳には充分すぎるほどの理由が揃ったことがショパンの心を決心させた。
それだからと言って、ソランジュを見捨てることは出来ないのがショパンだった。
フレデリックはルドヴィカに話し続けた。
「ソランジュは私にとって相変わらず魅力的
な女性です。彼女はできるだけ礼儀正しくしようと努力しています。私はいつもと変わらず同じ態度です。
でも、今回のことは本当に申し訳なく思っています。」
ソランジュの最初の婚約は食い止めることを
ショパンは影で助けたが、ソランジュとクレサンジュの不幸な結婚を止めることが出来なかったことをショパンは悔んでいた。
そして、
「クレサンジュとソランジュの結婚は、パリの社交界にも悪い印象を与えているのです。
というのも、展覧会に出品された彼の彫像の中に女性が非常に下品なポーズをとっているものがあるからです。
この像の姿勢を正当化するために、クレサンジュは像の女性の足に蛇を巻き付けなければならなかったほどのひどい下品なポーズなのです。像が身をよじる姿は恐ろしいほどです。」
このスキャンダルな女性の像はそのままでは発表出来なかったため、像の女性に蛇を巻き付けて卑猥さを誤魔化したとショパンは証言した。
そして、この作品の真相をショパンは何故だか知っていた。「これは、モッセルマン(私の友人であるレホン夫人の弟)が注文した像に他なりません。レホン夫人は元ベルギー大使の妻である。この彫刻はモッセルマンの愛人の肖像である。
この愛人はパリでは有名で"飼われている女性 "ですから、彼だけでなく、彼女を情婦としている他の人たちの肖像なのです。」
つまり、クレサンジュの愛人の像ということになっているが、実際は成り上がりの貴族を名乗るベルギー外交官のモセルマンがほぼ独占する高級情婦のアポロニー・サバティエ の像なのだ。事の成り行きの真相は、産業革命で稼いで貴族の称号を金で買ったモセルマンは外交官になったが、愛人に自分が金があることを自慢したくなりクレサンジュにアボロニーの胸像を依頼した。クレサンジュは成金のブルジョワジーの下品な日常を暴くために下品な女の像を敢えて造った。作品発表の前日にモセルマンは作品を観て仰天したのだ。
急遽、蛇を絡ませて作品の本筋から目を逸らさせることとなった。
「そのため、世間ではソランジュのような若い女性が、このような官能的で恥知らずな作品を展示しているクレサンジュと結婚したことに驚いているのです。
しかし、本当の芸術には恥ずかしいものはありません。実際、前に押し出された腹部と乳房は見事に情婦を再現しています。
次の展覧会では私や一般の人々が
ソランジュの小さなお尻を白い大理石で鑑賞することになりかねません。」
ショパンはクレサンジュがスキャンダルな作品を造ったことは批判の的になったことは、外交官モセルマンが愛人との生活を暴かれたくないためクレサンジュにお金を払うであろうという意図もあった。ソランジュがお金に困らないことを心配するショパンは
、クレサンジュが売り物のネタにソランジュまで担ぎ出さねばよいのだかと思っていた。
そして、ルドヴィカに書簡を書いている途中にまたサンドから書簡がショパンに届いた。
サンドはノアンで悪賢く生き延びていることをショパンは知っていた。
ルドヴィカへ、サンドが結婚披露宴をやらなかったのは村人に寄付金を払ったからだとサンドが嘘をついていることや、サンドは
19冊以上もの小説を執筆してるにも関わらず、サンドは何故だか視力の衰えがなく、
リュウマチで足を引きずっていると言いながらもかなり丈夫で元気なのだとショパンは
サンドのことを観ていた。
そして、ショパンはサンドから友人の訃報を「知っているか?」と尋ねられたことを不自然に思っていた。
「 ある日、サンド夫人は私に、メリー(1847年没)のことを知っているかと尋ねました。
なぜそんなことを聞くのだろうと思った。
彼女は私に直接答えることを避け、彼らの死についての情報を自分以外の誰かから得ることを望んだ。
それが昨日のことです。」
それから、思い出したかのように
話しがそれたショパン…
「昨日のことですが、以前のワルシャワの大家さんの奥様が
数日後にママへ誕生日プレゼントとして私のタバコ入れを持って行ってくれることになっています。」
誰なのか不明だが、ワルシャワの古くからの
知り合いがパリに来ていて、直接ショパンからの頼まれた物をワルシャワの家族へ届けてくれるというのだ。
ショパンはこの47年に3人目の友人を失った。メリー(ヴィトビッキ)、アントニ・ウォジンンスキ)、私がとても好きだったイジドール・ソビンスキー、そして
そして、少し前にローマから私に手紙をくれた親友メリーです。
ショパンは親しかった友人の死をサンドから聞かされたことに不信感を募らせていた。
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オーギュスト・クレサンジュ
「蛇に噛まれた女」1847年
パリオルセー美術館所蔵
頭部
顔はギリシャ彫刻のヴィーナスに似せて造ってある。
娼婦アグレ・ジョセフィーヌ・サバティエの体から型取りしている
『蛇に噛まれた女』という題名は、
蛇にそそ抜かされて、りんごを食べてしまったアダムとイブが楽園を追放されて、
それから人間は死ぬようになり、人間が自ら苦悩を選んだという旧訳聖書からの言い伝えがある。
19世期当時、女性の権利を主張する活動をサンドが先頭に立って行っていたが、その一方で貧しい生まれの女性はお金の為に権力者に身売りをしてることを表現している。
蛇にそそ抜かされるどころか、蛇に噛まれているということは、アダムとイブ以下と表現した。
ショパンが話していた、クレサンジュが
妊娠させた娼婦を殴ったという説は、
外交官モセルマンが情婦だった女を妊娠させたことを隠そうとし、マセルマンが当時社会的地位が低かったクレサンジュにこの情婦を押しつけたため、クレサンジュが憤慨して彫刻で暴露したという見解がある。
アグレ・ジョセフィーヌ・サバティエ
1822 年 4 月 7 日メジエール‐1890 年 1 月 3 日パリ
アルフレッド・モセルマン(1810–1867 )運河と道路の建設で大金を稼いだベルギー人貴族と産業家、愛人に娼婦アグレ・ジョセフィーヌ・サバティエ