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ガイヤの嘆き

2018.06.10 02:13

https://wired.jp/2020/04/05/empty-planet-preface/ 【来る人類史上初の「人口減の時代」が意味すること: 『2050年 世界人口大減少』序章から】より

2050年に人類史上で初めて、世界人口が減少に転じる時代がやってくる。そして二度と増えることはない──。世界の人口が急増して100億人を超えるという国連の予測に異を唱え、世界に衝撃を与えた書籍『2050年 世界人口大減少』。世界的な調査会社のグローバルCEOらがフィールドワークと統計を基に警告する本書は、新型コロナウイルスによって再びパンデミック(世界的大流行)を経験した人類にとって、大きな示唆にもなりうる。来る人口減の時代の全体像を提示した序章を、本書から転載して紹介する。

序章 2050年、人類史上はじめて人口が減少する

現在、世界人口は70億人を超えた。だが今世紀半ばには、減少へ転じるだろう。すでに25の国で人口が減り始めている。本書では、未来への鍵を握る中国、インド、アフリカ、韓国、欧州などでの貴重な現地フィールドワークを加えつつ検証する。

それは女の子だった。

2011年10月30日の日曜日、日づけが変わる直前の真夜中、混雑したマニラの病院でダニカ・メイ・カマチョはこの世に生まれ落ちた。この地球に住む人類の数が70億人に達した瞬間である。

本当のところ、目盛りが正確に70億を指したのはその数時間後だったかもしれない。インドのウッタル・プラデーシュ州の村でナルギス・クマールが生まれた瞬間だ。もしくは、ロシアのカリーニングラードで男の子のピョートル・ニコラーエワが誕生した瞬間だった可能性もある。

いや、実はそのいずれでもない。記念すべき70億人目の赤ちゃんが生まれ落ちたとき、そこには写真撮影もなければ記念のスピーチもなかった。その瞬間がいつ、どこで起きたかを知る術はないのだ。我々にわかっているのは、国連のもっとも信頼できる推計によると、2011年の10月30日のどこかで人類の人口は70億人を超えたということだけだ。この歴史的な節目を象徴する赤ちゃんを「この子だ」と認定した国はいくつもある。ダニカもナルギスもピョートルも、そのような赤ちゃんたちの一人である。

だが、70億人目の赤ちゃんを祝うべき理由などない、と考える人も大勢いる。例えばインドの厚生大臣グラム・ナビ・アザッドは、「(世界人口が70億人に達したのは)大きな喜びどころか、大きな心配事である。我々にとって、人口増加が止まった時こそ大きな喜びとなろう」と明言している。アザッドと同じ懸念を抱く人は多い。彼らは世界人口が危機レベルにあると警鐘を鳴らしている。ホモ・サピエンスはなんの制限もなく野放図な繁殖を続けており、毎年生まれる1億3000万人以上の新生児(ユニセフの推計)に衣食住を提供する能力は限界に近づいている。地球に人が満ちあふれるにつれ、森は消え、生物種は絶滅し、大気は温暖化していると──。

この人口爆発の起爆装置をとり除かない限り、人類の未来を待ち受けるのは貧困増加、食糧不足、紛争多発、そして環境劣化だ──警鐘を鳴らす人々はそのように断言する。〝現代のマルサス〟の一人、ジョエル・K・ボーンJr.は次のように述べている。「人口増加の劇的な減少か、温室効果ガス排出量の急速な減少、または菜食主義の地球規模の大流行が起きない限り──そのいずれもが現在は逆方向に向かっている──、多くの人は〝地球の終末〟と呼ぶしかない状況に直面することになるだろう」

こうした警鐘や懸念はすべて、完全に、見事に間違っている。

今から30年後、世界人口は減り始める

21世紀を特徴づける決定的な出来事、そして人類の歴史上でも決定的に重要と言える出来事が、今から30年ほど先に起きるだろう。世界の人口が減り始めるのである。そしてひとたび減少に転じると、二度と増加することなく減り続ける。我々の目前にあるのは人口爆発ではなく人口壊滅なのだ。種としての人類は、何世代もかけて、情け容赦なくひたすら間引かれていく。人類はそのような経験をしたことは一度もない。

この話にショックを受ける人がいても当然だろう。国連の予測では、人口は今世紀いっぱい増え続け、70億人から110億人になるとしている。人口増加が横ばいになるのは2100年以降だというのだ。だが、国連のこの予測は人口を多く見積もりすぎだと考える人口統計学者が、世界各地で増えつつある。そうした学者に言わせれば、世界人口は2040年から2060年の間に90億人で頂点に達し、その後は減少に転じる可能性が高いという(おそらく国連は、減少に転ずる瞬間の象徴的な死を迎えた人を「この人だ」と指定するだろう)。今世紀末には世界人口は現在と同水準にまで戻っているかもしれない。その後は二度と増えることなく減少を続けることになる。

今でもすでに25カ国前後の国で人口は減り始めている。人口減少国の数は2050年までに35カ国を超えるだろう。世界で最も裕福な国の一部は、今では毎年人口をそぎ落としている。日本、韓国、スペイン、イタリア、そして東欧の多くの国々がそうだ。イタリアの保健大臣ベアトリーチェ・ロレンツィンは2015年、「我々の国は死にゆく国です」と憂いたものだ。

だが、豊かな先進国で人口が減っているというのは大ニュースではない。驚くべきは、巨大な人口を抱える発展途上国ですら出生率が下がっており、近い将来に人口が減り始めるという点だ。中国はあと数年で人口減少に転じる。今世紀中頃までにはブラジルとインドネシアも続く。もうすぐ人口が世界最大となる予定のインドでさえ、あと30年ほどで人口の伸びは横ばいとなり、その後は減少に転じる。サハラ以南のアフリカ諸国や中東の一部の国々では、今でも出生率が極めて高い水準にある。だがそうした国々でも、若い女性への教育が普及し、避妊や産児制限が広がると、事態は変わり始める。おそらくアフリカの野放図な出産ブームは、国連の人口統計学者が考えているよりはるかに早く終わりを迎えるだろう。

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ブリュッセル、ソウル、ナイロビ、サンパウロ、ムンバイ、北京などを現地調査して確信

今後は出生率が加速度的に低下する──そうした徴候の一部は、学術論文や政府報告書などから読みとることもできる。だが、市井の人々と話すことでしか読みとれない徴候もたくさんある。そこで、著者である我々ふたりはそれを実際に行った。本書執筆のデータを得るために、計6カ国のさまざまな都市を訪れ、現地の人々と話したのである。

ブリュッセル、ソウル、ナイロビ、サンパウロ、ムンバイ、北京、パームスプリングス、キャンベラ、ウィーン──。それ以外の都市にも立ち寄った。そうした訪問先で我々は学者や公務員とも話したが、それより大事なのは若い世代との会話だった。大学のキャンパスや研究所、ファヴェーラ(ブラジルの貧民街)やスラム街で若者と話した。人生で一番大事な選択について彼らはどう考えているのか──すなわち、自分の子を作るかどうか、作るとすればいつか、という選択である。

人口減少それ自体には良いも悪いもない。だが、その影響は良くも悪くも巨大である。

今日生まれた赤ちゃんが中年になるころ、彼女をとりまく世界状況や将来見通しは今と大きく違っているはずだ。地球はさらに都市化が進み、犯罪率は低下し、環境により優しくなっているだろうが、同時に高齢者がずいぶん増えているはずだ。彼女は簡単に仕事を見つけられるだろうが、家計は苦しいだろう。大勢の高齢者の医療と年金に使われる税負担が、彼女の収入を食いつぶすからだ。学校の数も今より減るだろう。子供が減るからだ。

こうした人口減少のインパクトを実感するのに、なにも30~40年も待つ必要はない。今でも先進国である日本やブルガリアなどでそれを実感できる。こうした国々では、働き手および買い手となる若者人口が減少し、社会サービスを提供したり、冷蔵庫を売りさばくのが難しくなっているのに、それでも経済を成長させようと四苦八苦している。都市化が進む南米諸国や、さらにはアフリカでさえ、自分の人生を自分で決める女性が増えるにつれて、人口減少の影響が身近に感じられるようになってきている。例えば、子供たちがなかなか家を出て独り立ちしようとしなくなっている個々の家庭にも、そうした影響は見てとれる。彼らは20代のうちに子供を持とうなどという気はさらさらないのである。さらに、荒れ狂う地中海の海上にも人口減少の影響を見ることができる。悲惨な土地から逃げ出した難民たちが、空洞化へと向かい始めた欧州の国境に押しかけているからだ。

近い将来、地球規模の覇権争いにも影響が現れるかもしれない。数十年先には人口減少が戦争と平和の性質を変えかねないからだ。人口減少や高齢化の予期せぬ副作用で国力の低下に苦しめられる国が現れる一方で、一部の国は現在と同じ活力を維持できる。今後数十年間の地政学上の最重要課題は、一人っ子政策の壊滅的な帰結に直面して怒りと恐怖に突き動かされる中国を抑制し、丸く収めていくことになるかもしれない。

人口減少の副作用を恐れる一部の人々は、夫婦やカップルがもっと多くの子供を持つような政策を取るべきだと訴える。だが、そうした政策は無駄に終わることが数々の証拠から明らかだ。いわゆる〝低出生率の罠〟にはまり、子供はひとりかふたりしか持たないのが当たり前の社会になると、その数を当然だとする感覚は決して変わらない。夫婦やカップルは子供を持つことを、神や家族に対して果たすべき自分の義務だとはみなさなくなる。そうではなく、個人的な満足感を得るために子育てをしようと考える。そしてその満足感は、ひとりかふたりの子供を育てれば満たされる。

我々は自ら人口減少を選んだ

人口減少という難題の一つの解決法は、補充人員を輸入することだ。本書の著者ふたりがカナダ人である理由もそこにある。これまで数十年間、カナダは人口一人当たりで見て、主要な先進国のなかで最も多くの外国人を受け入れてきた。しかも他国で生じたような民族間のトラブルやスラム街の発生、猛烈な論争はほとんど起きていない。そのようにできた理由は、カナダが外国からの移民を経済政策の一手段と考えた──移民政策には能力に応じたポイント制(merit-based points system)を用いたため、概してカナダへの移民はカナダ生まれの現地人より教育レベルが高い──点と、カナダが多文化主義を受け入れた点にある。多文化主義とは、カナダ的モザイク社会の中でそれぞれが自分の出生地の文化を尊重する権利を共有することを指す。そのおかげでカナダは、地球上で最も豊かな国々のなかでも、平和で繁栄し、複数の言語が共存する社会になれたのである。

続々と社会に入ってくる新しい人々を、カナダのように落ち着いて受け入れられる国ばかりではない。例えば韓国人、スウェーデン人、チリ人は、それぞれ韓国人、スウェーデン人、チリ人であるとはどういうことなのかという点に極めて強い意識を持っている。フランスは、自国に来た移民がフランス人であるという自意識を持つべきだと強調しているが、古くからの移民の多くはそんなことは無理だと拒否し、その結果、社会から切り離され差別される「バンリュー」のような移民だけのコミュニティが生まれた。英国の人口は現在の6600万人から増え続け、今世紀末にはおよそ8200万人に達すると予測されているが、あくまでそれは現在のように活発な移民受け入れを続けた場合の話だ。ブレグジットを決めた国民投票から明らかなように、英国民の多くはイギリス海峡をお堀に変えたいと望んでいる。人口減少をなんとかしたいなら、国として移民と多文化主義の両方を受け入れなければならない。前者は受け入れるのが難しい。後者は、一部の人には結果的に受け入れ不可能かもしれない。

人類は史上初めて〝老い〟を経験する

大国のなかでも、来たるべき人口減少時代が追い風となる唯一の国がアメリカである。アメリカは何世紀もの間、最初は大西洋を越え、次は太平洋を越え、最近ではリオ・グランデを越えてやって来る移民を歓迎してきた。何百万もの人々が喜んで「人種のるつぼ」──アメリカ型の多文化主義──に飛び込み、米国の経済と文化を豊かにしてきた。20世紀が〝アメリカの世紀〟だったのは、移民政策のおかげだ。今後も移民の流入が続くなら、21世紀もアメリカの世紀となるだろう。

ただし、それには条件がある。警戒心を抱いて移民排斥主義となった最近の〝アメリカ・ファースト〟の盛り上がりは、すべての国との国境に高い壁を築き、アメリカを偉大な国にしてきた移民の流入チャネルの蛇口を閉めてしまえと息巻いている。ドナルド・トランプ大統領のもと、連邦政府は不法移民を厳しく取り締まるだけでなく、高い技能を持つ合法な移民の受け入れ数も減らしてしまった。米国経済にとって、自殺行為とも言うべき政策である。もしこの変化が一時的なものでないなら、もし米国民が馬鹿げた恐怖心から移民受け入れの伝統を捨て、世界に背を向け続けるとするなら、アメリカでもやはり減少することになろう。人口だけでなく、国力も、影響力も、富も──。アメリカ人は一人一人が選択を迫られている。多様性を受け入れ、来るものを拒まず、開かれた社会を望むのか、それともドアを閉ざして孤立しながら衰退する道を望むのか。

これまで、飢饉や疫病のせいで人間集団が間引かれたことは何度もあった。だが今回、人々を間引いているのは我々自身だ。人口を減らすことを自ら選んでいるのだ。我々はこの選択をずっと続けるのだろうか? 答えはおそらくイエスだ。政府による手厚い子育て援助金やその他の支援政策により、夫婦やカップルが持とうと思う子供の数を増やすことに成功するケースも時にはあった。だが、一度下がった出生率を人口置換水準──人口の維持には女性一人当たり平均2・1人の子供を生む必要があるとされる──にまで高めることに成功した政府はない。しかも、そうした支援策にはとてつもない費用がかかるので不況時には削減されがちだ。また、夫婦やカップルが本来なら持たなかったであろう子供を、政府が背中を押して生ませるというのは、おそらく倫理的にも問題があるだろう。

この先、縮みゆく世界に慣れていくに従い、我々は人口減少を喜ぶのだろうか、それとも悲しむのだろうか。成長を維持しようとあがくのだろうか、それとも人類の繁栄や活力が縮小する世界をいさぎよく受け入れるのだろうか──。私たちには答えられない。だが、詩人ならこう表現するかもしれない。人類は歴史上初めて、自身の老いを感じていると。