はじまりは「木材業界をなんとかしたい!」東北の児童館の子供たちに端材で作った積み木を届けた材木問屋・土橋さん
今回は、「余ってしまって焼却処分されるだけの端材」を再利用した積み木を1,000個制作し、東北・岩切地区の児童館に届けた材木問屋の土橋善裕さんにお話を伺いました。
土橋さんのプロジェクト:
「東北の児童館の子供たちを端材で作った積み木で笑顔にしたい!」
今回の取材は、新木場の「東京木材市場」で行われました。多種多様な木材が所狭しと並んでいて、場内は木の香りが立ち込めている昔ながらの市場といった様子でした。ただ、週に一度しか市を開いていないにもかかわらず、当日はお客さんが数えるほどで閑散とした雰囲気でした。
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聞き手:中込まどか
2014年より、キュレーターとしてReadyforに参画。2015年からはディレクターとして、裏方のことを色々やっています。
映画「サマーウォーズ」が大好きで、インターネットによって人々がつながり、共感が大きなうねりを生み出すことに立ち会えたらいいなと思って、日々試行錯誤しています。
お話:土橋善裕さん
東京木材市場という材木市場の材木問屋「新木場相原」で働く。木の啓蒙活動の一環として「木はもっと楽しめる」をキーワードに個人事業「あいはらの木」を立ち上げる。
「木材業界をなんとかしたい!」からはじまったプロジェクト
中込:今回のプロジェクトはどのような経緯で始まったのでしょうか。
土橋:木材業界が今、良くない状態であるということをいつも考えていて…。今、家のなかに和室がなかったりするじゃないですか。和室に使うような、「節」がないきれいな木材は高く、木材屋としても多く出ると嬉しいものなんです。でも、今の住宅には洋間ばかりで和室があまりありませんよね。家を建てるときに、木材は壁紙の向こうになってしまうのでお客さんの目には見えないんです。きれいな木材であろうがなかろうが関係ないとなると「いい木」は高いので売れないんですよね。和室がなくなっているのも原因の一つなんですけど、そういう背景があって、大手ハウスメーカーさんが使っているのは、ほとんど外国の木(外材)なんですよ。
外国の木材は、値段も安いし、品質が高いのでお客様からのクレームが少ないんです。寸法がきちっとして、乾燥もパシッとして。材木は乾燥しないと使えないんですけど、乾燥するまでに結構時間がかかったり、乾燥する窯に入れるのにお金がかかったりします。それなら、乾燥している木材を外国から輸入してしまった方が早いというながれです。そういうこともあって、今、日本製の木材があまり使われていないんです。日本の林業も危ない状態なんですよ。
私はこの業界に来るまでは、「木材」は衣食住に関わるものだから、正直を言うとこんなに危うい状態になっている業界だとは思っていませんでした。
木材で勝負をしている木材屋が減少、窮地に追いやられた材木問屋
この辺りにはまだまだ木材でちゃんと商売がうまくいっているところもあるみたいです。でも、ほとんどの木材屋さんは木材でやっていっていると言うよりは不動産収入のほうが大きいです。都内の木材屋さんは、昔から木材業をやるために広い土地を持っていますから。そこにビルを建てたり、マンションを建てて貸し出して家賃を得るとか。木材を売らなくてもそっちの収入でやっていけますから。木材を売るお店がなくなってしまうと、木材問屋である私たちのお客さんがそもそもいなくなるので参っちゃうんですけどね……。
今、東西線に「木場駅」という駅があるんですけど、そこは昔、木材屋さんがいっぱいあった場所なんです。「木場」という名称は「木置き場」の略らしいんですよ。「新木場駅」という駅もありますけれど、「新木場」は「新しい木置き場」で新木場。「木場」から「新木場」へは600軒以上の木材業者さんが移り住んできたんです。でももう今ではたぶん100軒を下回っているんじゃないかな……。「新木場二丁目」には、木材を扱っているところが2軒か3軒ぐらいしかないという結構悲劇的な状態で。
とにかく今は、「新木場」は運送とリサイクルと倉庫の街になっています。人が住めないところなんですよ、新木場って。工業専用地域と呼ばれていて、法律で住めない。24時間何やっていても、誰も何も文句言わないので、運送のトラックが24時間行き来しても大丈夫みたいなんですね。その流れで運送屋さんや倉庫が増える一方、木材屋さんがどんどん倒産していまして、この間も老舗と言われる木材屋さんがなくなってしまいました。新木場の現状と、木材業界の現状です。それで本屋の店長をしていた私は30歳を機に何かやりたいなと思って、木材業界に飛び込みました。
30歳を機に木材業界に飛び込んで知った木材業界のピンチ
中込:どのような流れで木材業界に飛び込まれたんですか?出身地が木材で有名なところだとか、ご家族が木材業界で働いていたとか?
土橋:父が木材問屋の代表をやっているので、手伝いたいなと思って。それで飛び込んでみたら、予想以上に状態が良くないなということを把握しましたね。これの地図にいっぱいバツ印がくっついているでしょう。これは、木材屋さんがつぶれちゃった印のバツなんですよ。今、木材屋さんって一体何軒あるんだろうと思って、この地図を持って歩いて調べたんです。そうしたら百何軒しかなくて。でも、看板に「木材」って書いてあるけど、明らかに倉庫として使われているというところも含まれていますから、実際はもっと少ないんだろうなと思います。木材屋さんはお客さんもご高齢で、商売をやめられてしまう方も多くて。跡継ぎがいないというかたもいますね。どこの業界もそうだと思うんですけどね。農業とかも。この業界は特に良くない状態なんじゃないかなと思います。
木材業界をなんとかしたかった。クラウドファンディングのきっかけ
中込:クラウドファンディングでプロジェクトをはじめたきっかけはどのようなことだったのですか。
土橋:この木材屋さんが減っていく現状を何とかしなきゃいけないと思って。この現状を変えたいなというのがきっかけです。私が積み木に使った材料というのは、木と木の間に挟まっている細い木です。廃材になってしまう木を使って何とかしようという活動を行いました。端材を商品にしようなんていう気は全くなくて、なんだかもったいないなと思って活動をはじめました。
積み木が欲しい人いませんか?という呼びかけに反応・岩切児童館との出会い
中込:積み木を作ろうという発想に至ったのはどうしてでしょうか?
土橋:株式会社ささきさんがすでに作っていた「つむ木」というのがあるんですよ。ただ、同じ寸法の積み木。組み合わせて遊べるようなものです。それを見て、これならできるなと思いました。ただ、その後、それを作ってどうしようというアイデアが出なくて困りました。それで「こういう積み木がつくれるんですけど、欲しい人いませんか?」という発信を始めました。偶然、Facebookで「知り合いの宮城県の児童館が欲しいと言っているよ」と教えていただいて。それで、直接宮城県仙台市の「岩切児童館」の館長さんに連絡をしたら、「ぜひください!」と言っていただいたんですよ。宮城県仙台市岩切地区は震災後、多くの屋根が壊れてしまっていて、それを覆うブルーシートがたくさんあり「ブルーシートタウン」と呼ばれていました。
児童館は震災前からあり、震災後も建物自体は大丈夫だったみたいです。ただ、児童館の目の前の道路などは亀裂が入ったりしていましたね。こどもたちはよくその児童館に集まって遊んでいるみたいで「おもちゃが常に不足している」というお話を聞いて今回このように一緒に取り組ませていただきました。
積み木制作開始が待てなかった。少しでも早く積み木を届けたかった
中込:土橋さんご自身は、東日本大震災のときはまだ書店店長さんだったんですよね?
土橋:そうです。商品が全部落ちてしまって。本棚も落ちました。私が店長をしていたお店はレンタルビデオとかゲームも扱っている複合店だったので大変でした。震源からもっと近いところはもっと大変だったんじゃないかと思いました。児童館の皆さんがすごく困っている様子を見て、目標金額達成前だったんですけど、いてもたってもいられなくてもう届けようと思って。積み木作りをやり始めちゃったんですよね(笑)。最終的にたくさんの支援が集まったので、予定していた積み木500個の倍の1,000個作ることにしたんです。
他人に自分の考えを話すことは勇気がいること
中込:クラウドファンディングは初めての経験だったと思うんですけど、どのあたりが大変でしたか?
土橋:他人に自分の考えていることを言うのって勇気が要るなと思いました。この活動自体を人に伝えたことがなかったので反応が怖かったですね……。
中込:周りの方の反応はいかがでしたか?
土橋:「いいね!」って言ってくれる方もそうでない方もいました。「それはちょっと…」という人はあんまりいなかったですね。何も言わないけど「それはちょっと…」と思ってるんじゃないかなという雰囲気の方ももちろんいましたよ。
知り合いからの応援が多かったのですが、でも、そんなに長い付き合いの方だけではなくて、知り合ってから間もない方も応援してくださいました。「こういうことをやっている人がいるんです」とか、ご自身のブログで紹介してくれたりしてくれて嬉しかったです。知り合ったばかりの方も、Facebookでプロジェクトに関する投稿をすると、「頑張ってくださいね」って言ってくれたり。金銭的な支援はできないけどと言って、絵を書いてくれた方もいました。
子どもたちのキラキラ輝く瞳を見て、本当によかったなあと
中込:クラウドファンディングを達成したときは、どんなお気持ちでしたか?
土橋:嬉しかったですよね。嬉しかったけれど「やり切らなきゃな」みたいな責任が今まで以上にありましたね。やり切らなきゃいけないという気持ちでいっぱいになりました。
中込:このできた積み木を1,000個、岩切児童館に実際にご自身が持っていったんですもんね。どうでしたか?実際に使われている様子を見て。
土橋:嬉しかったですね、やっぱり。こどもたちが目をキラキラさせながら、群がってきて。行った日が土曜日で児童館自体は子どもが少ない日だったらしいんですよ。それでもいる子どもたちみんな集まってきて、遊んでくれて喜んでくれて、よかったなあと。
この積木自体が厚さとかも微妙に違ったりして、長さは大体同じなんですけど。子どもたちは「これと、これと、これがつながるぞ」とか、「これおんなじやつだ」みたいな感じでくっつけながら遊んでいました。どこまで高く行けるか、ひたすら積み上げたりとかする子もいましたね(笑)。この積み木はスギでできていて、軽くて投げても痛くないので、投げて遊んでいる子もいました(笑)。1,000個を1個1個手でひたすら手でヤスリをかけたんですよ(笑)。結構大変だった記憶があります。でも、最終的に子どもたちが喜んでくれたから、よかったと思っています。
新木場に木のテーマパークを作りたい。木材業界の可能性を探る
土橋:今回の活動はこういったことができるということを知らない木材業者や一般の方々に「こんなことができるんだよ!」ということをお伝えすることも目的の一つなんです。最終的には建築の方につながっていけばいいなとは思うんですけど、どうしてもこういう木材業界が大変だという現状がある中で、無理やりそちらに結びつけるというふうに考えるのがどうしても難しいなと思って、今、悩んでいるところです。あと、新木場を盛り上げたいんですよね。新木場に木のテーマパークをつくりたいんですよ。今でもまだまだ100軒ぐらい木材屋さんは残っているので、新木場に来てもらえば大体の木材はそろうんですよ。この材料が欲しいといったときに。そういうところって、新木場以外にないんです。せっかくそういう基盤があるんだから、一般の方が家族で土日に来て楽しめるようなものがつくれたら、絶対楽しいのになと思うんですよね。
新木場には、私と同じように「新木場を盛り上げよう!」という若い人がいるんです。ですので、そういう方たちと定期的に集まって、次はこういうことをやろうとか、そういうのを話したりしているんです。この間は、いかだを水面に浮かべてお酒を飲むというイベントをやりました。それがとても楽しくて。そのときに薫製器があるから薫製をやろうと言ったんですね。ステンレスの薫製器を見て、「あ、これは木でもつくれる」と思って燻製器を作ったりもしましたよ。
木材業界をよくしたい!方向性で迷ったプロジェクトの立ち上げ
土橋:支援をしてくださった方にとって、木材業界をなんとかしたい!という方向性と、復興支援という方向性とでは、全然色が違うじゃないですか。私はもう最初の段階では完全に「自分のいる木材業界をよくしたい」という気持ちで始めましたから、それを今回のインタビューでお話しするのはどうなのかなと思いました。結果的にはたくさんの子どもたちの楽しそうな様子が見られてよかったのですが、「困っている人を助けます」などの方がより多くの方が支援してくださる傾向があるじゃないですか。でも、どうなのかなと思って。「新木場で楽しいことをやります!」みたいなプロジェクトをやった方がよかったのかなというのは今でも考えています。次にもしクラウドファンディングをやる機会があったら、「楽しいことをみんなで楽しみましょうよ」みたいなプロジェクトをやれたらなと思います。
自分がやりたいと思っていることを正直に伝えることが全て
中込:Readyforでクラウドファンディングにチャレンジしようと思っていらっしゃる方に何かアドバイスはありますか?
土橋:自分がやりたいと思っていることを正直に伝えるということが大切だと思います。やりたいと言っている人は多いですが、実際に行動に移している人は少ないですよね。私は「こういうのをやりたい」と思ったときに、その日のうちにReadyforさんに登録して説明しました。「こういう素材が余っています。こういうことをやりたいんです」と伝えるというアクションを起こしたから、結果、ここまで来られたと思うんです。でも、アクションを起こさなかったら何も起こらないじゃないですか。だから、とりあえずやってみればいいんじゃないかなって思います。勇気が要ることだとは思うんですけど、できることは指を動かすことだけじゃないですか。Ready forさんなんて特に。「こういうのがありますが、何とかしたいんです」と言うだけ。でも、それをやらなかったら何も起こりません。とにかくやってみたらいいんじゃないかなと思います。