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Simple is best

2021.06.11 04:09

そう言えば

ある時から、執着することが無くなった。


執着とは…

Wikipediaで検索してみた。




執着(しゅうちゃく、しゅうじゃく[1]、abhiniveza अभिनिवेश (sanskrit))とは、仏教において、事物に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。

執「著」と書くこともある。仏教用語というより、一般的な用語であり、現代語の執着(取, attachment)によく似た意味で、煩悩の用語としてのrāga(愛)あるいはlobha(貪)に近い。


なるほど。

やはりあまり良い意味ではないな。

修行の障害になる心の働き…


生きること=修行


だと昔は思っていたな。

それはさておき、

生きていくのに執着をなくすことはすごく生きやすくなったと自分自身で実感している。



生きることを修行だと思うのはストイックになりすぎるから、4.5年前から修行ではなく、自由に楽しむ事に変えた。


そうすると、些細なことが楽しくなって、小さな幸せを沢山見つける事ができた。


また、執着しない事で悲しみを感じる事が減った。


美容サロンのオーナーです!って肩書きで生きていた時代は、美容関係の起業家キラキラ女子の中にいなければならない事や、どれだけフォロワー数、ブログのアクセスを伸ばすか、ブランドで身を固めてお洒落してパーティーや女子会を開催したり。全てはビジネスの為、自身の成功の為、と一生懸命だった。最高の環境に自分を置いても満足することはなく…心に違和感だけを感じていた。



ある時、思い切って捨てた。

自分に必要なもの以外を全て。

ブランド品、長く使った携帯番号も。

ものではない、人間関係、環境もそう。



するとまわりには大切なものと人だけ。

そうすると、何に心が動くのか、幸せやときめきを感じるのか、すごく自分が生きやすくなった。


綺麗なハイヒールを汚さないように履くことより、裸足で砂浜を歩くことが好きだったり。お洒落で豪華なディナーを食べるより、自分で釣った魚を自分で料理して食べることに価値を感じたり。


私の好き、を見つけて実感することができた。


だからこそ、たまにハイヒールを履いて背筋がピンとなる感覚、レストランで食べる雰囲気も心底楽しめるようにもなったと思う。


執着が無くなれば、人と比べることや、人を羨むこともない。まして自分が苦労しているとも思わない。

そんな事をいうと、あなたは幸せだからわからないんだと言われることもあるけど、そもそも自分のことは自分にしかわからないし、自分の捉え方ひとつで幸せにも不幸にもなるんだと思っている。


上手くいかない時はたくさんあるけど、

自分の心に忠実に。

周りは気にせず、好きなこと大切なものや人を大切にする。

それだけで、空が綺麗、風が気持ちいい、生きてることに感動する。そして感謝する。


昔、むかーしの人類はそんなふうに生きていたのかなぁ、なんて事考えてみたり。だから、日本は自然信仰の考え方があるんだろうなと。私は無宗教だけれど。

そんなふうに考えると、自然のありがたみ、地球環境を守るという考え方に繋がっていて、日々の生活に大きく関わってくる。


そんなことを思っていたら、自分が大変だと思ったことなんて大したことないし、

なるようにしかならないものだと思ってしまえば、上手くいった時の気分は最高に感じるし、上手くいかなくても期待や執着していない分、打撃もない。



ブランド志向や都会派の暮らしを否定している訳じゃない。

スーパーでにんじんを買うようにブランド品を買う人ならわざわざひけらかすことはないのだし、ブランドの本物の価値を知っているからこそ日用品と化していることはある意味素晴らしいと思う。



ひとはひと。


ひとにも表面には見えない背景があると思えば、簡単に羨む言葉は出ない。



幸せに生きることのヒントはシンプルにいることだと思う。


ファンレターの相談事、親友からのLINE。

最近、こんな事を私が多く話す機会があったので書いてみた。



偉そうに言うつもりはなく、

だだ、私が楽に、楽しく!なれた方法です。

ただそれだけ。




satamari♡